15 御作善有ける也 御當日尓ハ尊霊の御焼香
被遊忝も光尚公十九人の位牌尓も御焼
香被遊けり かゝる難有御吊ひ尓合事も忠
誠を感し思召故也 誠尓冥加の程も恐連有
と殉死の子供御焼香申上る程の年齢の
者ハ御焼香被仰付騎士の列御紋付之長上下
御時服被下歩士の列尓ハ半上下御時服拝領
着之し御焼香申上る 後家の女子の類尓は
御香奠被為拝領誠尓御仁恵難有かり
ける事共也 然る尓阿部権兵衛が所存社本 社=こそ
意ならぬ事共也 親々の座配の如く次第を
守り御焼香申上る時権兵衛ハ己が髪を押切て
備置て退出す 諸人是を見て法外の仕方
是本心の事尓非すと各立掛り押留て其
子細を問ニ遁世之由述懐の情を述と云共時
節所柄を顧す斯る厳重の御法會座席
前代未聞の事共也 則光尚公尊聴尓達し
けれハ甚以御機嫌悪敷早速禁籠被
仰付残る弟共尓権兵衛不所存 上を憚らさ
る仕方お咎め之趣被仰聞けれハ恐入門
戸を閉て静り居たりける 権兵衛か身の上
御仕置如何被仰付叓やらんと親族打寄
「原文に触れる‐阿部茶事談」をご紹介している中で、「この写本は間違いが多く、元になっているの史料は何か?」とのご指摘があった。
藤本千鶴子氏の「校本・阿部茶事談」を読まれてのことだが、この「校本」との比較においては確かに相違が多く見受けられる。
何方かが指摘されるだろうと思っていたが、さすがというべきか、やはりというべきかのご指摘である。
藤本千鶴子氏のこの論考は、1972年発行の「近世・近代のことばと文学」(第一学習社)に41頁に亘り掲載されているものである。
現在「阿部茶事談」の研究にとっては教本ともいうべきものだが、私は当方がご紹介している史料が間違っているとのご指摘は当たらないと考える。
確かに内容は違っているが、是もまた貴重な資料である。ご紹介している史料を読むと、藤本氏の校本との違いがまた貴重であることも窺えるのである。
「校本・阿部茶事談」が発表されてから、47・8年になろうとしている。ここでご紹介している史料を、新たな資料としてとらえることは出来ないだろうか?
藤本氏が当時この史料をご覧になって居れば、氏の論考の内容も違ってきたのではないかとも考える。
写本の原本はただ「原氏蔵書」とあるのみで、原氏は文政七年に是を書写しており、この筆者は文政十二年に是を借り受けて書写したものである。
筆者の記名もないのが史料としての価値を下げている所もある。
いつの日か、藤本氏の「校本」との詳細な比較ができればと考えているのだが・・・・