(寛永元年十一月)十三日
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| 十三日
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楯岡光直へ米百俵 | (光直)細川家預人 (松本彦市)
ノ差紙ヲ知行方奉 |一、楯岡甲斐守へ米百俵被遣候間、加被相渡とのさしかミ彦・伝へ遣也
行へ渡ス | (栗野伝介)
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|一、永良長兵衛京都迄上申候御用候て、逗留申候ニ付、御鉄炮衆桑原主殿与平ノ源左衛門・横山藤左
| 衛門与井上九兵衛被差下候
| (光直) (政信)
諸方ヨリノ来状 | 一、御書箱壱つ 加藤平内殿・小栗又市殿
| 一、御書箱壱つ 式ア少所へ
| 一、御書壱つ 天長老
| 一、御書壱つ 民ア少・式ア所へ
| (永良)
| 付、式ア少殿へ長兵衛所ゟ之そへ状壱つ、
| 右之分小林久介ニ持せ、式ア殿へ遣候、
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| 米田是政室・監物是季生母
| 一、御書壱つ うんせん庵へ
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| 小笠原長之室・細川孝之女小万
| 一、御書壱つ こまん殿へ
| 付り、長兵衛ゟ民ア殿ヘノ状壱ツ
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| 一、御書壱つ おすき殿へ
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| (米田是門)(矢野)
| 一、御書壱つ 與右衛門・利斎所へ
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| (米田是季)
| 一、御書壱つ 監物所へ
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| (是友)
| 一、御書壱つ 米田甚左衛門・矢野助二郎
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| 一、御書壱つ へにや安入
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| 一、御書壱つ 福田善右衛門
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| 一、御書壱つ 永然寺
| 九
| 一、右ノ御書七つ 米田甚左衛門へ渡、
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| 一、御書壱つ 小左衛門ニ渡 野田小左衛門・豊岡甚丞
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| 一、拙共へ之御書壱つ
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| (田中氏久)
| 一、御書壱つ 猪兵衛ニ渡 加藤新兵衛・田中猪兵衛
| (又市)
諸方ヘノ書状 |一、小栗平内殿・加藤平内殿ヘ之御書箱、御鉄炮衆谷忠兵衛与秋吉市太夫・明石源左衛門与末隈久介
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| と申者持た遣候
|一、林加兵衛せかれニ御ふちかたの儀、少右衛門ニ申渡候事、
| (志水) (ママ)
水死ノ志水牛助知 |一、牛助せかれニ、牛助知行無相違被遣候通、被成 御書、則其旨高田角左衛門・山路太郎兵衛ニ申
行跡式安堵 | 渡候事、
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中津へ人返シ |一、中津御領分へ返し申御荒仕子、臼野村ノ藤七と申、其在所へ返し申候を、西川與介与ノ武藤加右
| 衛門ニ連させ、遣候事、
|一、佐藤安右衛門・春木與吉かたへ之 御書、谷忠兵衛与塚本少介ニもたせ遣候事、
|一、御小人久太郎替ニ、同半介を明日遣候へと、御道具ノ勘四郎ニ申渡事、
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