21 出男子五人有て何連も被召出と也 中尓も
数馬は幼年ゟ忠利公児小姓尓被召出御
意尓叶ひけると也 嶋原の折も供奉致し二
月廿七日落城の節十六才尓て働き疵を
蒙り武者振見事尓有けると也 柳川の城
主立花弾正是を見て感状を送給ふ 帰
陳の上三百石の新恩を蒙り千百五拾石の身
上也 御側物頭三十挺也 今年廿一才壮年之
若武者也 此度討死と定ける 其意趣を
聞尓数馬は忠利公の近習ゟして其御心尓
叶ひけり 又林外記と云者有て當時双なき出
頭尓して光尚公御側さらす 大目付約を蒙り
大小となく政道の筋口入せしか 如何成故尓や
数馬と不和なり 此度の討手をハ誰かハ被
仰付之事と御讃談之席尓て外記申けるハ
誰かれとなく竹内数馬ハ御先代御取立の者
也高恩身ニ余此度何とて高恩報しさらん
や数馬こそと申ける尓より数馬尓一決しける
と也 高見も同役たる尓より同討手の仰を
蒙りけり 此趣を数馬傳聞て心得ぬ外
記か言葉哉我本ゟ御取立の事ハ世の知る所
也 殉死をも可致者の生き存へて居るとや
先に同文庫が出したエミール・ギメの「明治日本散策 東京・日光」を読んだ。
帯には「失ったものの大きさに日本人はいつか気づくだろう」とある。写生もさることながら、文章に大いにひかれた。
この本と対の形で出されたのがこの本である。ギメを読んでレガメを読まないのは片手落ちだろうと思い注文した。
レガメについては河鍋暁斎の絵で承知している。この本を読んだら次はこの奇才・暁斎を読もうと考えている。
まずは・・・
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明治日本写生帖
- 著者 フェリックス・レガメ
- 訳 林 久美子
- 解説 稲賀 繁美
- 定価: 1,100円(本体1,000円+税)
245の図版で見る明治──議会、軍隊、寺社、学校から、相撲、歌舞伎まで
もくじ
国土と国民
政治と文明化
軍隊
宗教・風俗・慣習
音楽と踊り
芝居と相撲
公教育
芸術と芸術家
■ フェリックス・レガメと日本 林久美子
■ 日仏文化交流史の中のギメとレガメ 稲賀繁美
(寛永三年五月)十日~十二日
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| 十日
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石囲爐裏 |一、中津御奉行衆へ、石いろりの儀申遣候書状之返事、今日来ル、此飛脚申候ハ、 三斎様御上洛廿
三斎上洛延引 | 七日迄相延申候由申候事、
忠利端午節供ニ出 |一、煩候而、五月五日御節供ニ不出之者、煩之様子せんさく可仕旨、被 仰出候、
仕セザル者ヲ詮索 |
セシム |
扶持放 国払 |一、右御節供ニ不出ニ付、市村十左衛門ハ被放御扶持候、但、御借米・同銀不残返上仕候而、他国可
| 仕旨、 御書出シ出申候事、
竹屋ハ宥免サル |一、竹や喜兵衛事、右同不出ニて候へとも、内々能御奉公仕ニ付、被成 御免候事、
|十一日
|一、立花飛騨様・鍋嶋信濃様へ被進 御書御返事、御飛脚今日持帰也、
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三斎へ楊梅進上 |一、中津へ山もゝ被成御進上候、御小人ニ持せ、久持作丞被遣候事、
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| 十一日
| (宗茂)
|一、立花飛騨様へ被進 御書御返事、今日御飛持帰申候事、
| (木下延俊)
|一、右衛門様へ 御書、次飛脚ニて遣候事、
| (豊後日田郡) (元次)
囚人護送ヲ鉄炮足 |一、日田へ囚人つれさせ遣候御鉄炮衆神西與三右衛門与並川長介、芦田與兵衛与渡辺十介、明石源左
軽ニ命ズ | 衛門与安部善左衛門、此三人ニ申付遣候也、
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楊梅運搬ノ小人霍 |一、昨日中津へ、山もゝを御小人ニ持せ、歩ノ御小姓久持作丞被参候処ニ、うるう津ニ而、かの御小
乱ニツキ宿送り | 人くわくらんを仕出、不参ニ付、うるう津ゟ中津迄、宿送り持せ被参由、作丞被申候事、
|一、中津へ 御文箱被進、 御飛脚両人ニ持せ遣候事、
| (勝茂)
|一、鍋嶋信濃様へ被進御飛脚帰、則 御書之御返事来る、御茶やへ持せ遣也、
| (郡脱ヵ)
楊梅 |一、田川太郎左衛門ゟ、山もゝ三籠持来候事、則上ヶ候也、
| (惟成)
|一、竹原少左衛門所ゟ、田辺平介所ニ居候百性之儀日申越書状、当所浅山清右衛門・仁保太兵衛と当
| 被越候、ふしんをたて申候事、
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| 十二日
| (久盛)
|一、中河内膳様へ之 御書持せ、御鉄炮衆弐人遣候也、芦山與兵衛組渡辺十介、明石源左衛門組吉村昨左衛門両人遣、
| (加藤忠広)(鶴崎、豊後大分郡)
速見郡奉行ノ報 |一、宇野七右衛門所ゟ申来候ハ、肥後守殿つるさきまて御着之由、次飛脚にて注進申候、則立 御耳
加藤忠広鶴崎ニ着 | 候事
ス |
|一、中津へ 御書被進、沢井次右衛門ニ上ヶ可申旨、被 仰出、御返書申ノ中刻ニ来申候事、
|一、木右衛門様ゟ之御返書、次飛脚ニて、申ノ下刻ニ参候を、塩田少斎を以上候事、
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