27 所尓居住す 以前小西尓仕後清正尓て千石
給ふ 吉兵衛心尓不叶有て熊本を白昼ニ
立退 此時討手を気遣ひ鉄炮を用心尓て
退しか共無別儀豊前小倉尓落去たり 諸
方ゟ抱度旨申来りけれ共忠興公元ゟ御懇
意ニ而本知千石ニ而ゟ 召出其子も吉兵衛と云 予
か祖父也 兄弟五人有御入国の後段々ゟ召出末
弟数馬也 有馬御陳尓其嫡子吉兵衛御用ニ付
宇治ニ参御供不申上七郎左衛門を初め不残御供
申上し也 七郎右衛門ハ光尚公尓附有馬御陳の
時疫を煩ひすり湯を漸く飲て城乗の御供
仕たりと也 運強けれハ死なぬ物と老年尓成
て咄しけり 数馬ハ十六才ニて御児小姓故御
馬廻り尓居たりけれが先手尓参度と再三願
申上ける尓御立腹被遊小忰のうせいと御意有
けれハはつと云て馳出す 其時あれ怪我さす
なと御意有る尓依て継て馳付しと也 数
馬ハ乙名尓石垣尓付城乗致し手負けり 凱陳
の上三百石被下都合千百五拾石尓成関兼光
の脇差忠利公ゟ拝領して所持す 無類の業
物御秘蔵なれ共数馬御意尓叶ひ拝領す 御