津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■正代関は小代氏なのか?

2020-01-24 20:14:50 | 徒然

 熊本人にとっては初場所の大相撲は大いにワクワクを募らせている。正代関の優勝争いだ。
明日が12勝1負同士の対決だから、明日勝てばかなりの確率で優勝が見えてくる。頑張って初優勝をもたらしてほしいものだ。
正代という姓は非常に珍しく思えるが、熊本では結構数居られるらしい。
そんなところから、正代氏の祖をたどると「小代氏」ではないのかという話が聞こえてくる。
何とも確かめようのない話ではあるが、有りうる話だとは思える。

          小代氏・wikipedia
          武家家伝・小代氏
          武家家伝・小代氏ダイジェスト

小代氏は1200年代半ば、地頭職を得て肥後入国したとされるから、古い歴史を持っている。
正代関もそんな武士のDNAを受け継いだ末裔だと考えると、心躍る処だがいかがであろうか?
ご存知の方がおられれば是非ともご教示いただきたいものだと切望している。
あと二日祈る気持ちで天皇杯を抱く正代関の雄姿を待ちたい。

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■「阿部茶事談」(25)釈文

2020-01-24 09:22:28 | 史料

25                           吟味の時八兵衛儀討手不被仰付処押而阿部
         か屋敷尓参候事何故哉と御尋有し
         尓弟義討手ム心元存候間罷越候也と申上
         尤の事也 然者数馬討死の時ハ一所尓居候哉
         と御尋有ける尓場所違不存と云 弟を無心
         許存跡ゟ参候程の者か討死を不知とは
         不都合の事也 第一御下知もなき尓罷越段
         不埒也かたく閉門被仰付と也 又曰添嶋九
         兵衛ハ初鉄炮衆也 有馬陳の時ハ立石市兵衛
                    本ノマヽ「賞」
         組にて手尓合帰陳の上御美有之新
         知百石被下也 添嶋子供男女二人也 嫡子九一
       郎九才遺跡拝領す 幼年尓て病死す 妹尓
       御扶持被下置後他尓嫁して男子壱人出生す
       亡父由緒を以竹内吉兵衛へ被預置添嶋灘平
       として小姓奉公し其後阿蘇坊主尓成て幸
       方坊と云 母ハ尼尓成て妙善と云て老極し
       幸方坊還俗して添嶋市兵衛と名乗御奉公
       尓出る 正徳年中の事也
       又曰白菊の名香ハ 忠興公御取出之木也 御
       歌尓
          たくひ阿りとたれかハい王ん末匂ふ
            秋より後の白菊の花

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■細川小倉藩(131)寛永三年・日帳(五月廿三~廿五日)

2020-01-24 07:12:30 | 細川家譜

                        (寛永三年五月)廿三日~廿五日

         
              廿三日
         |
         |  (三淵重政)(有吉英貴)

         |一、右馬助殿・頼母殿、中津へ御見舞ニ被成御越との御談合ニ御出被成候 思召被寄進、尤と申候
         |  事、
         |
間紹甫唐渡ニ銀ノ |一、同紹甫唐渡ノ時、銀拾貫目相渡候切手同状、河喜多五郎右衛門ゟ請取候事、
切手       |

         
              廿四日
         |                十貫
松下掃部助新銭十 |一、松下掃ア助方寛弐十二月ニ新銭〇借用被申候つる、只今返上被申候ニ付、我々印判けし候也、
貫返済      |
豊後横目等ヘノ湯 |一、豊後御横目衆ひゃうノ湯へ可被成御入由、宇野七右衛門ゟ申来ニ付、御菓子・もうせん持せ遣
治見舞      |  候、慥ニ請取候との返事今日来、
米積ノ目録    |一、野田小左衛門仕置御米積ノ目録壱つ、加藤新兵衛方へ相渡候也、
忍ノ者用材ヲ求ム |一、吉田助右衛門しのひノ御用ニ、材木ノきれ、又五六寸廻之竹入申由申ニ付、切手遣候事、
         |          (長府、長門豊浦郡)
長崎等買物ノ造作 |一、去年飯銅少内長崎幷ちやうふへ御買物ニ被遣候時ノ造作料ノ儀、今度万事如御先代之と被 仰出
         |                (嘉左衛門)
料        |  候間、渡候儀いかゝ可仕哉と、金子被相尋候間、如 御印被渡置、重而被得 御諚、御意次第ニ
         |  沙汰可仕と申渡候事、
         |                (菊)
長崎買物銀借入  |一、長崎にて、当分御買物之銀子、きく原五郎兵衛ニかり可申候、利足壱ヶ月ニ何程宛と定被申候
         |              (神)
         |  へ、重而算用可仕由、中上與兵衛ニ申渡候事、
走者       |一、岡田一角走者走申ニ付、中国ニ居申由ニて、野尻五郎兵衛子を付置申候、此ふち方之儀、一角手
         |      〃     (成定)
         |  前ゟ被渡
候へ之由、坂崎道雲へ申候事、
         |  (以心崇伝)
崇伝書状三斎宛  |一、金地院様ゟ 三斎様へ之書状、三郎左衛門持下候、則御飛脚ニ持せ、中津へ差上候事、
         |一、土佐新太郎所ゟ奉書壱通、三郎左衛門被持下候事、
         |               (秀成)
京都調物奉行書状 |一、小野九右衛門・石本三介・佐藤少三郎ゟ状一通、三郎左衛門被持下候事、
         |

         
              廿五日
         |
長崎買物銀借状  |一、長崎へ被成御下シ銀子之儀、菊原五郎兵衛ニ申候ヘハ、爰元ゟ御使出船之前日ニ、銀子拾貫目御
         |  用ニ立可申候間、長崎へ先下り之御銀子ノ内を以可被返下との御借状被成可被下由申候通、中神
         |  與兵衛被申候事、
馬船ニテ馬ヲ上着 |一、御馬船ノ御船頭竹井弥兵衛、今日罷下、御馬共無事ニ上着仕由候事、
セシム      |
         |                 (可政)              (江島、宇佐郡)
嶋田直時返書   |一、嶋田越前様ゟ之御返書壱通、又加々山主馬助言上ノ状壱通、ゑじまニて 殿様へ上申由候事、
         |                                   (氏次)       (清忠)
薪        |一、加々山主馬方ゟ薪ノ儀ニ付、書状竹井弥兵衛持下候、浅山清右衛門・田中與左衛門・西郡形ア
         |     (重嘉)      (幸長)
         |  少・横山助進・野田小左衛門・金子喜左衛門・中神與兵衛、此七人ニ当ル状也、但、五月十四日
         |  ノ状也、
大坂調物奉行書状 |一、寺嶋平兵衛ゟ状三通、右ノ弥兵衛持下候、但、五月十五日ノ状二通、五月十六日ノ状一通、浅山
         |  清右衛門・田中與左衛門・横山助進・西郡形ア少、四人ニ当来、
         |   (慰英)
大坂米奉行等書状 |一、仁保太兵衛・堀長兵衛・米田久助・寺嶋平兵衛四人ゟノ状壱通、右同此方四人ニ当ル、弥兵衛持下、
         |一、加々山主馬ゟ一尾采女へ之状壱通、中ニ状数あまた有之と見え候、右弥兵衛持下、
         |       (津川辰珍)
         |一、大塚長庵ゟ津河四郎右衛門殿へ之状、右弥兵衛持下候、則持せ遣候事、
         |

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