13 尓て年来之御高恩を報奉るへしと悲願の涙
尓く連なから惜らぬ命存へて君命の重を守
ける尓世の悪口尓弥市右衛門厚き御恩を蒙りし
者なれハ此度御供可申上処殉死の御免な紀を
幸尓して命を惜ミ可存事臆病の至り也 如何
尓御免無迚も一途尓御供存極る殉死ならば腹
を可切尓口尓てハ追腹も致能真実の殉死ハ成ら
ぬ物也 瓢尓油をぬりて成共切連かし抔悪口し
狂歌落書抔人口尓乗けれハ弥市右衛門傳へ聞て
扨々是非尓不及事哉何可惜命尓あら祢共
君命重キ故斯存て武運尓不叶仕合也いで
さらば瓢尓油をぬりて悪口せし奴原へ腹を切
て見せんと御免なき尓強而殉死をとけ尓ける
光尚公御家督
幷十九人之遺跡被 仰付御憐□之事 □=恨の下に心
かきり阿れハけふぬき捨る藤衣果なきものハ
泪なりけりと古歌の如く御中陰の日数も過キ
けれハ同年五月五日光尚公御家督御相續
多年勤労の面々御代替の時尓合新知加
増役替等其外人々の働次第尓御恵み有て
難有中ニも今度殉死十九人の遺跡未幼少の男
(寛永元年十一月)十日・十一日・十二日
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| 十日
| (成政)
|一、坂崎清左衛門被罷下候、
| (光直)最上騒動に連座し元和八年細川家お預け
楯岡光直へ百俵 |一、楯岡甲斐守方へ五斗入米百俵被遣候との 御印、幷永良長兵衛ゟ之奉書、右清左衛門持参候、
五斗入 |
| (松井興長室、三斎女)古保か?
中津へ人返シ |一、御こう殿ノ御荒仕子弥二郎、中津御領分ニさしかへし申ニ付、寺本八左衛門くミ羽山清左衛門ニ
| 連させ、遣候事、
中津へ人返シ |一、中津御領分へ返し申朝山斎者弐人、大塚長庵者壱人、面々ノ主人へ相わたし候事、
|同前
惣談 |一、相談仕候事、
| ママ
| (安芸安芸郡)
倉橋島ニテノ造船 | 一、倉橋ニて作申荷舟、壱そうにても弐そうにても不作舟候ハヽ、とめられ候へと、樋口淡路へ加
未着手ノ船建造中 | 介を以申入候事、
止 |
| (野田幸長)
船買入 | 一、野小左衛門かい被申舟、急度受取、道具仕立、浦辺へ米つミニ遣被申候へと、申渡候事、
| 喜兵衛
金山地割ノ奉行交 | 一、御金山地わりノ御奉行野田小左衛門替ニ下川加兵衛申付候事、同久太郎替ニ御小人半介遣候事、
替 | 〃〃〃〃
惣米倉奉行任命 | 一、惣米倉奉行ニ中嶋茂左衛門申付候事、
鋳銭奉行任命 | 一、新銭奉行ニ林里右衛門・河野清左衛門申付候事、
荒仕子奉行 | 一、御荒仕子・御闕所倉、二色ノ御奉行ニ杉弥三郎
闕所倉奉行任命 | 牧市左衛門申付候事、
不足衆台所奉行 | 一、不足衆台所奉行黒瀬九郎右衛門・松山小兵衛申付候事、
| (堀川)
中津町人米貸付之 | 一、中津ゟ二郎右衛門米かし付之帳壱札参候ニ付、則取立之御奉行ニ中津海三右衛門・伊藤金内申
帳 | 付候事、
貸付米取立奉行 |
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| 十一日
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囮雀ノ餌札 |一、河井権佐幷しゝめきおとり餌ノ札七枚持参候て、被差上候
| 〃
小倉町人借米返弁 |一、当町人手前ゟ御借用米御返弁被成候ニ付、私共連判候て 借状 六百六拾八石元分也、此借状取返
判ヲ破ル | し、判をやぶり申候事、 〃〃
倉橋島造船中止 |一、倉橋ニて御作被成御荷舟、未作分ハ差留候へと申候て、御船頭河村弥右衛門遣候事、
| (藤原定価) (米田是門)
定家ノ墨蹟上ル |一、めぬき屋友智上ケ申ていかノほくせきノ儀、則 御印を写、與右衛門殿へ遣候事、
奥方台所ノ荒仕子 |一、上毛郡野田村へ戻差返候 御上様御たい所ノ荒仕子弥二郎と申者之請取切手来候事、但、寺本八
人返シ | 〃
| 左衛門与羽山清左衛門、
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| 十二日
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花ノ種蒔ヲ命ズ |一、花ノたねふせ候へと、上林甚介に申渡候、
加室沖難破船ニ乗 |一、加室にて破損仕ル御舟ニ乗合、身から斗助候かちの御小性衆十二人、御鉄炮衆十人ノ分ハ、来年
込ノ家中ノ貸米棄 | 之御借米本がし、増がしともニすて被遣候間、新敷かり可申之由、申渡候事、
捐サル |
大坂城普請ノ不足 |一、大坂御普請ニ被参候不足衆、下り船中ノ遣銀之さしかミ相調、御家老衆へ遣候事、
衆ノ船中遣銀 |
|一、住江四郎兵衛・菅村藤兵衛・竹田了由被罷下候事、
| 書状を持せ
中津町人貸付米 |一、堀川二郎右衛門かし付米之儀ニ付、〇下毛郡へ西川與介与長松兵衛ヲ遣候事、
上野ノ唐人帰着ス |一、江戸ゟ御飛脚ニ桑原主殿組之平野源左衛門・横山藤左衛門与井上九兵衛、上野ノ唐人弐人、御荒
| 仕子壱人罷下候
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