永青文庫が収蔵する「先祖附」は、正徳四年(1724)四月に命が下されて作成に至っている。綱利最晩年の事である。(11月死去)
大概の書き出しは「先祖何某」とか「私曽祖父何某」などと書かれているが、それは細川家の豊前入国(慶長五年・1600)から124年も経過しているからのことである。
古いお宅では「御書出」を収納する小さな箱を今でもお持ちの家がある。命の次に大事なものとして、床柱に釘を打ちここに掲げられていた。緊急時にはこれを持ち出すためである。
これら資料に基づき、三代目・四代目の方が「御書出」「奉公覚」や「口伝」などをもって先代については書いたことになる。
「私何某は」と自分自身の筆記になるのは三代目・四代目の当主となり、以降は「〇代目何某」となるがこれは後代まとめて書き込まれたものである。筆跡が代々の人のものではない。
これまで多くの先祖附を読んできたが、内容に首をかしげるものが見受けられる。
これは藩庁が認めた公式なものであるから、脇からいろいろ物申すこともできない。よほどの証拠がない限りこれを覆すことは不可能である。
或る事件を調べようと「先祖附」を拝見すると、詳細に触れなかったり、事件そのものの記載をさけたりしており、そういう意味においては研究資料としては正確さを欠いていると言わざるを得ない。
また、家族関係や姻戚関係などにはほとんど触れておらず、他家の系図などから関係を紐解き驚かされることが多々ある。
これらを踏まえて「新・肥後細川藩侍帳」は、データの出処を明らかにして、種々の情報を盛り込む作業を続けている。
遅々たる作業を続けている。