過日のブログ「徒然なか話」に伝統工芸館裏の坪井川船着場調査があった。管理者様はフットワークが良い方で、博物館の方と後日調査に出られるという。
どの様な結果になるのか、ご報告を楽しみに待ちたい。
この記事を読んでふと気になる事があった。それは子飼町にあった旧細川刑部邸の近くにあった船着場の事だ。
この辺りにはかって、渡し場があった。大江方面から府中に入るためには重要な役目を担ってきた。
グーグルアースで眺めてみると、当該地はすっかり白川の護岸工事により整備されて船着場はきえてなくなっている。
この近くには私が幼い頃、私の親族が旧藩時代からの家に住んでいて、祖母に手を引かれて遊びに行き、この船着場も訪れたことがある。
歴史に目覚めてからは残念ながら訪れる機会がなく、気が付いてみるとそのものが消滅していて、写真記録でも取っておけば良かったとおおいに悔やまれる。
直ぐお隣は「九州整備局熊本河川国道事務所白川出張所」がある。何かしら記録が残されていないものかと思っている。
少々厚さが和らいだら、出かけてお尋ねしてみたいと思っている。
そして、高田先生の「平成肥後国誌(上)」に貴重な写真が残されている。(p923)
先生の遺品である大量のネガを管理している史談会の中村君にお願いして、探し出してほしいと願っている。
追記:偶然だが夕刻にはブログ「徒然なか話」で「伝統工芸館裏の坪井川船着場調査」についての報告がなされていた。
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