ニ一、井戸茶碗
信長や秀吉が戰功の行賞に茶器を與へたことは、有名な話になつている。殊に文禄
以降は主として「舶來物」を與へたらしい。金に手詰まつてゆゑと考へるのは、貧乏
臭い我等の觀察だ。秀吉らの趣味だつたのである。それはいずれにしても、もらふ諸
將にして見れば、いのちがけの賜物なのだから、品物の善悪眞贋ぐらゐは、自分達の
利害のためにも辨へておかねばならなかつたろう。ちょろりと儲けた成金が骨董屋に
掴まされるのは勝手だが、論功賞はさうは行かない。
幽齋もとより茶器に深い關心を持つてゐた。例へば茶入一つにしても、秀吉の「殘
月肩衝」には及びもないが、似た物ぐらゐは所有したかつた。氏郷が「鍋屋形衝」を
入手したと仄聞して、競争心を起し、法外の金を投じて井戸茶碗を買つた。これは後
#1
に、茶博士不昧公の有に歸し「細川井戸」と呼ばれた名器である。幽齋は、この朝鮮
古陶の、貫乳とカイラゲの、えもいはれぬ美しさに惚れぼれと見入つた。「井戸」と
は妙な名穪だが、井戸覺弘なる者が彼地から持ち歸つたに由來すると、普通考へられ
てゐる。 #2
ふと噂に聞けば或る大名がすばらしい井戸を愛蔵してゐるといふことだ。幽齋、競
爭心を新にした。彼れと此れといづれか勝れる、比較研究して見たくなつた。折よく
その大名の茶に招かれたので、
「御珍藏の名器拝見仕り度う。」
と申し入れた。大名は座を立つたが暫時して戻り、出來ばえの普通の瀬戸で一服すす
め乍ら、さて言ふよう、
「仰せにより只今井戸を取り出させ申すと、小姓めが粗忽致して、割つてしまうてご
ざる。」
幽齋、氣の毒におもひ、
「せめては破片を拝見出來ますまいか。」
盆に載せて出された名器の殘骸は、悲しげな匂ひを放つた。幽齋は硯を引寄せて、
筒井筒五つに割れし井戸茶碗咎をば我の負ひにけらしな
#3
伊勢物語の一首を上手に利用したこの戯歌は、大名の心を和らげ、おかげで小姓は
お手討を免れたといふ。什寶紛失してお家騒動となり、幾人もの声明を取るといふ筋
の小説が江戸時代に多い。それに比べれば、殺伐なるべき筈の戰國時代の方が、よほ
ど人情味に富んでいる。昨春、恩賜京都博物館で豐太閤記念特別展觀の催された時、
筆名は偶然にも右の茶碗を眼の前に見た。出品者は山科の毘沙門堂。まさしく高臺ま
で五つに割れてゐたが。その金接の美しさに刮目した。金の絲は未もそぼそと消え
て、恰も砂濱に吸はれて行く細流の如く感じられた。この名器、割れたのは怪我の功
#4
名といへる。しかも幽齋の前で割れたのは、いかなる幸運ぞ。「筒井筒」と銘打ち、
國寶に指定された。
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参考
#1,細川井戸 所蔵:畠山記念館
重要文化財 (高さ:9.4cm口径:15.8cm 高台径:5.5cm)
#2,この文章では「大名」とあるが、この話は豊臣秀吉の話として有名である
#3,伊勢物語の一首 「筒井つの 井筒にかけし まろがたけ 過ぎにけらしな 妹見ざるまに」
#4,銘:筒井筒 個人蔵 金沢市( 口径 14.5センチ 高台径 4.7センチ 高さ 7.9センチ)
重要文化財 昭和25年8月29日指定