ニ七、吉野山(續)
朝露にしめつた蘇苔の庭を前にして、竹林院の縁側に坐つた幽齋は、秀吉のことを
かれこれと觀察した。
太閤さまは膽のすぐれて太いお方ぢや。明國との平和は續く筈がない、やがて又、大
軍を海の彼方へ繰出さねばならぬ。場合によつては呂宋までもと八幡船の原田もささ
やき居つた。今は戰爭の中休みだ。この情勢をちやんと御承知の上で、前代未聞の大
花見をなさる。太閤さまは派手なお方ぢや。今年還暦のおれよりも二歳お若いだけの
ことで、すでに相當のお年寄だ。それにどうだ。一昨日、中の千本でお見かけした
ら、赤地に牡丹を刺繍した金襴のお羽織召して、若い女中衆にお手を引かせて居られ
た。それどころか、作髭に眉作り、鉄漿くろぐろと付けてゐられた。あの御氣性は常
若と申すものぢや。乍併、御年齢は爭へない。いやお身體は年齢よりも老けてござ
る。お顔を見れば皺が寄り、歩かれる時には背中を屈めて居られた。召された衣裳の
若々さとは、うらうへぢや。何かむづかしい御病氣が潜んでをらなければ幸ひだが。
太閤さま百歳の後には、世間はどうなることか。太閤さまのなされ方をつくづく拝
見するに萬事が餘りに凡人とかけ放れてござる。戰爭も天才、外交も天才ぢや。さ
うして、何事もご自身でなさる。敢へて批評申上げるならば、豐臣家には「組織」が
ない。太閤さまあつての豐臣家ぢや。前田も、加藤も、石田も、福島も、太閤さまの
上意を下達するのみで、下から支へ、又は盛り上げる能力に乏しい。太閤さまの肚は
大きすぎる。善美を盡した聚樂第でも、お氣に召さぬとなつたならば、一日も取毀ち
だ。山樂の繪でも、洟をかみなさる。大陸征伐の軍用金、山の如き費だが、「乃公の
眼の黒いうちは、どうにもする」と、心配さうな顔もなされない。三十萬の兵を出す
事などは、いや、さやうな時が來るものとは考へても居られない。萬一の事など心配
するは我等下凡の事ぢやまで。
とは申せ、萬一の事ござつたならば、世間はどうなる。再び應仁の亂に戻しては、國
家のため、蒼生のため、相すむか。信長公不慮の場合には秀吉公が居られた。太閤さ
ま百年の後には、秀次公がござるか。莫迦申せ。秀次公は天下一の浪費者ぢや。徳川
殿が居るか。徳川殿は「組織」の人だ。さうして、「經濟」の人だ。秀吉公が洟をか
まれた狩野の繪を、洗濯して表具する。無事に天下を治めはするだらうが、さて、そ
の功利主義的の治め方が・・・・・
幽齋がかれこれ思い煩つてゐるところへ、吉水院の雑色が來て、伏見城の工事につき
相談すべき急用出來したゆゑ、直ちに參れとの御諚である。