変なことはまだありますよ。
新約聖書にはイエスの言葉がたくさん記録されています。
イエスは父なる創主についても、たくさん語っています。
にもかかわらず~~
「父なるエホバ」
~~と一度も言っていませんよね。
祈るときも「エホバよ!」と言っていませんよね。
変ですよね・・・。
~~またイエスは
「では諸君は全ての民のところに出て行って、彼らを私の弟子としなさい。父と子と聖霊の名によって、バプテスマを授けなさい」(マタイによる福音書、28章19節)
~~と弟子たちに命じています。
で、弟子たちはどうしたかというと、イエスの名でバプテスマをほどこしています。
後に弟子のペテロも~~
「『悔い改めなさい。そしてあなたがたひとりびとりが罪の許しをうるために、イエスキリストの名によって、バプテスマを受けなさい。・・・』」(使徒行伝、2章38節)
~~と言っています。
そこにもエホバの名は出てこない。
エホバが創造主であったならば、これは全くおかしいことですよね。
だけど・・・、創造主でなかったら、これは別におかしな話ではない。逆に筋の通った話となるのです。
そこで、「もし創造主でなかったら・・・」という方向で思考を進めてみましょう。
(続きます)