癒しや悪霊追い出しにも、実は天使が関わっているのではないか、と思わせる聖句があります。前にも引用したと思いますが~~
「イエスは12弟子を呼び寄せて、汚れた霊(デーモン)どもを制する権威をお授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直すためであった」(マタイによる福音書、10章1節)
<権威と権能>
ここで「権威」をお授けになった、と記されているところに春平太は注目いたします。権威は英語でオーソリティです。これはある権能(パワー)あるものに命じて働かせる資格をいう言葉です。
権威と権能とは対照的な概念です。自衛隊員は権能を持っています。武器を使って敵を破壊するパワーを持っている。しかし、安倍総理大臣にはそんなパワーはありません。優男風ですし、素手の自衛隊員と戦っても一発で倒されるでしょう。
けれども安倍総理には、ことあるときには自衛隊員に命令を発して動かす権威を持っています。そういう資格を職務上与えられているのです。これが権威と権能の関係です。
<イエス、弟子に権威を授ける>
さて、聖句に戻りましょう。
イエスは弟子たちに権威を与えた、と記されています。権能を与えたとは書いてありません。
もし権能を与えたのでしたら、弟子たちは汚れた霊を自力で追い出せる、そして、病をいやせる、そういうパワーを身につけてもらったことになります。だが、そう書いてはなく、権威を与えられたと記されています。
権威、すなわち、誰かパワー(権能)あるものに命じて、働かせることの出来る資格を、イエスから与えられています。
<人間が創造主に命ずることはない>
では、病を癒す権能を持っている存在とは何でしょうか。霊的存在であることには間違いないでしょう。通常の考え方では、聖霊か天使かと言うことになりますよね(春平太は聖霊は自ら病を癒す存在ではないと解しておりますが当面通説に合わせておきましょう)。
でも、この場合、聖霊であることはあり得ないでしょう。弟子たちは人間ですよ。被造物ですよ。被造物が創造主たる聖霊に命令を発することなどありえませんからね。
すると、残るは天使となります。弟子たちが汚れた霊を追い出し、病を癒しているとき、実は天使が働いて追い出しているのです。道理としてそういうことになりますよね。
このように、不思議な力が働く場面では、実は天使が働いていることが多いのです。わざわざ記されていませんが、聖書の記する場面では天使が活躍している状況が実に多い。こういう雰囲気を感じながら聖書を読むことはとても大切なことだと春平太は思っています。
(続きます)