
前回出てきた、北のイスラエル王国の王様、アハブ王の物語をもう少し考えましょう。
エホバも、彼に付き従った天使も、どうしてこの王様を殺してしまったのでしょうね。
なにか、かわいそうな気もします。
<王様も悪いが>
この王様は、普段からエホバの御心に従わなかったのでしょうけれど・・・。
何百人もいる預言者たちが、王様の都合のいいような預言をする有様です。王様の普段の言動がそういう状況をつくってきたのでしょう。

<預言者たちもよくない>
だけど預言者たちもよくないんだよね。
今で言ったら、この人たちは宗教家でしょう。
彼らは、エホバ神の御心を霊感でキャッチしてそのまま述べる存在ということで人々に信頼されています。それで食っている。
にもかかららず、彼らはそのまま言っていない。
王様の欲望を読んで、それに沿ったことを言う。そして、それを自分の霊感による受信内容だと称しています。
その方が、社会経済的利得になるからでしょうが、よくないですよね。
一般人から信頼されている宗教者という身分、それがありながらこんなことをやっているんだから。

<処置は厳しい>
これに対する、エホバや天使の行動は厳しいですよね。
王様の間違った方向を加速して、後戻り出来ないようにしています。預言者たちの口が(さらに)偽りを言うように動かしてしまうのですから。

<「悔い改め」には誘わない>
もう少し暖かい方法は採れないものでしょうか。アハブ王やその預言者たちが「罪を悟って、悔い改めるように」働くというようなことは・・・。
エホバとその天使がここでそのような道を取らなかった、ということは記憶しておくべきに思います。

<愛弟子ヨハネにすら冷酷な心が・・・>
ただし、人間の心にも暖かいものだけでなく、こういう冷酷な意識もあるようです。
ルカ伝の9章に、こういう話が出ています。
~~イエスはエルサレムに向かう途中でサマリア人の町を通ります。例の「サマリアの女」のサマリアですね(「ヨハネ伝」4章)。あのとき彼女とその村の人々は、イエスの言葉を真理だと信じましたよね。
今回、弟子たちは、イエスがそこで休憩できるように、準備をしようとします。ところが期待は裏切られました。


~~とあります。
ユダヤ人の聖地エルサレム(サマリヤ人の聖地ではない)にイエスが向かっていることを知って、嫉妬してヤキモチ焼いたんでしょうか。そこのところはわかりませんが、弟子たちは、彼らに対して怒りを抱きました。
「先回、我らの先生イエスにあんな素晴らしい教えを受けたのではないか」
「癒しも受けたのではないか」
「あんなに喜んていたのではないか・・・」
「なのに義理も人情も、こいつらにはないのか・・・」
~~こう言ったかどうかはわかりませんが、とにかく、怒った。そしてこう言ったと記録されています。


~~激しいですねえ。 弟子たちも、このとき少し調子に乗っていた嫌いがありますが・・・。
実はこの旅でイエスは、12人の弟子たちに悪霊を追い出し、病気を治す権威をさずけて途中の村々に福音を 宣べ伝えさせています。弟子たちもそうやって癒しながら旅をしているんですね。自分たちの霊的な力に関しても、腕におぼえある状態でした。だから「天から火を呼び下して・・・」という言葉も、自然に出たのでしょう。
だがそれにしても、このときの弟子の心は冷酷ですよね。
とりわけヨハネと言えば、「ヨハネ伝」の著者ヨハネです。イエスを最もよく理解していて、温厚な人柄だというイメージです。実際、普段はそういう人だったでしょう。
でもそのヨハネの心からも、こういう冷酷な思いが出るんですね。「こんな罪人たちはもう悔い改めさせる必要ない。焼き殺してしまえばいいんだ!」という。
人間ってそういうものなんでしょう。「仏の顔も三度」というのはこの心理をいうのでしょうし。アハブ王に間違いの道をどんどん進ませた、エホバとその天使に共通した意識を心の一部にもっているんですね。

<イエスは戒めた>
そしてイエスはヨハネとヤコブのこういう思いをよしとはされませんでした。聖書には~


~~とあります。
(続きます)
