鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.10 「人間と比較しつつ天使を(4)~~紅海に道を出現さす~~」

2006年10月25日 | “エホバ”の奥義

                    

~~ヘブル書の聖句に戻ります。


 「また、御使いたちについては『創主は、御使いたちを風とし、ご自分に仕える者たちを炎とされる』と言われれているが・・」(ヘブル人への手紙、1章7節)

 風はどうでしょうか。天使はペンテコステの日に風になっただけでしょうか。

                    

旧訳聖書「出エジプト記」のこれなどどうでしょうか。

 「その時モーセが手を海の上に差しのばすと、エホバは一晩中強い東風で海を退かせ、海を陸地とされた。それで水は分かれた。そこで、イスラエル人は海の真ん中のかわいた地を、進んでいった。水は彼らのために右と左で壁となった」(出エジプト記、14章21~22節)

 風で海の水が押しのけられるというのは、十分あることです。今でも台風の時に高潮が怒りますね。あれは強い風が海の表面の水を、吹く方向に押しのけるので、風に吹かれている海面が高くなる現象ですよね。

 日本列島から見て東の方の、太平洋のある位置から海の水の表面が日本列島に向かって押しのけられますのでその分、日本列島側は海面が上昇します。それで陸から見ると、平常時より海面が高くなって押し寄せてくるようになるんですね。

 このように風は海の水を押しのけることが十分出来ます。もし、天使の軍勢が一列の風になって水を拭きのければ、その位置だけは水がなくなって、海面に海底の土が現れる。それが道になってイスラエル人が歩いて渡った、という事態は十分にあり得ることなんですね。天使が風になるというのならば、ということですけれど。

                    

 ついでにこの場面から、エホバ神の状態を記述した聖句もみておきましょう。上記の場面に続いて、こういう事態が起きています。エジプトの軍隊もまた、紅海に出来た道に入ってイスラエル人を追いかけます。すると~~

 「朝の見張りのころ、エホバは火と雲の柱のうちからエジプトの陣営を見下ろし、エジプトの陣営をかき乱された。その戦車の車輪を外して、進むのを困難にされた。・・・」(出エジプト記、14章24~25節)

 エホバは「火と雲の柱のうちから」エジプトの陣営を見おろし」とあります。そういう有限な存在の「うちから」というのですから、エホバはやはり有限な大きさを持った存在なんですね。

 ところが、父なる創造主は時間的無限者であるだけでなく、空間的に無限者なんですね(このあたりは『神とゴッドはどう違うか』新潮選書、に書きました)。だから「自分以外の全てを私が創った」といえるわけです。もし空間的に有限だったら、その外側の存在に対して「私が創った」というのが苦しくなります。

 どうも、エホバは父なる創主とは違う存在のような気がするなあ・・・。創造主は万能だからなんでもできるという解釈もあるでしょうが、聖書を詳しく考察してみると、どうもそうでないようですよ。

 創造主にも出来ないことがある。たとえば「偽りを言うこと」です。これはできない。空間的に無限な存在が、有限な存在に変容することも、出来ないんじゃないかなあ・・・。

                    

 ともあれ上記の場面に戻ります。イスラエル人がかわいた海の底を渡りきると、海の水は元に戻ってしまって、エジプトの軍勢はみんな溺れて死んでしまいます。水を分けていた風がなくなってしまったことになるでしょう。

 こういうふうに、あるとき風起きたり、止んだりするのは、天使の軍勢が風になったり、風であるのを止めたりする想像した方がリアリティが高くありませんか。つまり、風自体が意志を持った実体である(構成されている)というイメージです。

 もちろんエホバの意志で、自然現象としての風が吹いたり、吹き止んだりするという解釈も、お好みな方は、されてもいいんでしょうが。

     (続きます)

                       

コメント
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