奇跡は定義すれば「既知の自然法則を超越した新現象」とでもなろうか。
でも、具体的に考えないとイメージがわかない。
イエスが多く行った「癒やし」の奇跡、たとえば「盲人の目を瞬時に開く」癒やしに沿って考えてみるとそれは~
①「従来なかった」ものだから新しく、
②「原因が五感認知できない」が故に「奇」なるものだった。
この「新にして奇なる五感現象」に、イエスの癒やしの場合はもう一つ~
③「人間にとって喜ばしい出来事」で歓迎されるものだった。
~という特徴が加わっていたが、それは付け足しだ。
<イエス理論は難解だった>
たしかにイエスが宣教に先立ってやってみせた奇跡は、人々を驚かせ、探究心を創成した。
だが、そういう感情は短時間なものだ。
人々の感覚はしばらくするとまた、日常状態に戻る。
そのつかの間の探究心・好奇心に、イエスは霊界理論を注入した。
けれどもその理論も、人々の心に長くは留まらなかった。
聴衆の多くを占める庶民には、イエスの説く深遠な霊界理論は難解で、彼らはしばらくすると忘れてしまった。
<ユダヤ教ワールドでの宣教>
中には記憶に長くとどめる者もいただろうが、表立たなかった。
当時のイスラエルは、ユダヤ教が唯一国教として支配する、政教合一の宗教国家だった。
特にエルサレム神殿では、高僧たちも広場を巡回していて、イエスに共感する姿勢を示す者には処罰が待っていた。
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イエスが行った奇跡は、即座に大ブームを巻き起こした・・・というのは空想だ。
それは、後の時代におけるキリスト教大発展を知る我々だけが抱く連想にすぎない。
エルサレムでのイエス宣教から最も学んだのは誰かと言えば、彼に付き従い聞き入った弟子たちだったろう。
(続きます)