弟子たちが「よみがえり」のイエスを、その目で見ても、受け入れがたかった理由は他にもある。
イエスは、生前と同じ身体では、現れなかったのだ。
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これまでそのあたりは、留意されてこなかった。
考えてみればおかしいくらいだ。
後に天国に昇るためにも、生前と同じ肉体をもっていたのでは、イエスは重くて昇天して行かれないのだ。
<復活の日時はいつか>
それに関連して、そもそもその「よみがえり」はいつ起きたかを、改めて吟味しよう。
一つの解読は、彼が墓に葬られて、入り口の石が転がされて、入り口が閉じられてすぐだった~である。
理由は次のごとくだ~。
<きょう私と共にパラダイスに>
イエスは隣の十字架につるされていた犯罪人に約束をしている。
「ルカの福音書」23章で、ルカはこう記録している~
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「ほかにもふたりの犯罪人が、イエスと共に死刑にされるために引かれていった。
”どくろ”と呼ばれているところに来ると、そこで彼らはイエスと犯罪人とを十字架につけた。
一人はイエスの右に、一人は左に。
・・・・・(中略)・・・・
犯罪人の一人はイエスに悪口をいった。
『あなたはキリストではないか。自分と私達を救え』
ところが、もうひとりのほうが彼をたしなめていった。
『おまえは神(創造主)をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。
われわれは自分のしたことの報いを受けているのだから当たり前だ。
だが、この方は、悪いことは何もしなかったのだ。』
そしていった。
『イエス様、あなたが御国の位にお就きになるときには、わたしを思い出してください』
イエスは彼に言われた。
『まことに、あなたに告げます。きょうあなたは、わたしとともにパラダイスにいます』
(ルカの福音書、23章32-43節)
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~この「きょう、あなたは、私と共にパラダイスに・・・」の「きょう」は金曜日、イエス処刑の当日だ。
<処刑日の夕方までに復活せねば>
つまりイエスは、その日のうちに、この犯罪人をパラダイスに連れて行かねばならなかった。
そして、そのためには復活せねばならなかった。
パラダイスがどこにあるか。 (すぐ後に吟味するが)少なくとも、地上でも地下でもなくて、上の方だろう。
そして上方に上るには、イエスは、新しい、軽い身体に、復活せねばならない。
その復活は、アリマタヤのヨセフが提供した墓が大きな石で閉じられた、そのすぐ直後、処刑の日の夕方になされねばならないだろう。
~こういう推論である。
<身体を出た霊によって罪人を連れて行った>
第二の解読は、次のごとくである。
イエスの霊は、殺された金曜日に身体を離れている。
その霊によって、イエスは、彼を頼った罪人の霊をパラダイスに連れて行った。
だから、この日に復活する必要はない。
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また、父なる創造神は聖なる安息日(土曜日)を大切にされる。
だから、イエスの霊をそのままの状態にしておき、翌日(日曜日)の早朝に、その霊を身体に入れて復活させた。
このことは、イエスが前々から言っていた、「三日後に復活する」との言葉とも符合する。
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さあ、どちらの解読が確からしいか。
「三日後に復活する」の言葉も、「三日後に復活した姿を弟子たちの目の前に現す」という意味だと解することも不可能ではない。
けれどもどうも、後者の方が正解らしく思われる。
(続きます)