鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

五感認識したら確信できる

2022年06月21日 | 永続確信のための聖書解読

 

 イエスが「最後の晩餐」で予告したことは、まだまだある。 

 

だが、弟子たちはその予告に「そうかもしれないな」「そうなるといいな」と思うのがせいぜいで、確信は持てなかった。 

 

予告したことを五感で認識できなかったからだ。 

 

+++ 

 

  公衆に宣教する際、イエスはまず奇跡を見せた。 

  教えに耳を傾けさせるためだ。 

 

 その奇跡は、五感が認識する現象である。だから人々は驚愕した。驚いて教えに耳を傾けた。 

  だが、続いて語る教えを五感認識させることはなかった。 

  

「天国は近づいた」といっても、その天国を映像で目に見せつけることはなかった。 

 

「私の教えていることは父から与えられたもの」 

といっても、その状況を目に見せることもなかった。 

 

+++ 

 

 「最後の晩餐」での弟子への予告も同じであった。 

 「聖霊を送る」といっても、そう言っている時点では、聖霊を五感認知させることもしなかった。 

 

 だから、弟子たちも、イエスの予告に「そうなるかもしれないなぁ」という気持ち以上の、思いを抱くことなかった。 

 

<復活は五感認知させた> 

 

 だがそうしたなかで、イエスは一つだけ、例外を見せた。 

「わたしは(死んでも)また諸君の眼前に現れる」という予告(教え)についてである。 

 

 イエスは十字架刑死して墓に葬られた後、実際によみがえって弟子たちの前に。目に見える状態で現れたのだ。 

 いわゆる「復活」の予告については現実に見える状態で五感認識させたのである。 

 

 これがいかに画期的ですごいことであるか、現在クリスチャンと称される人々にも、ほとんど認識されていない。 

 

 この事件を次回からしばらく、吟味しよう。 

 

(続きます) 

 

 

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