キリスト教会での「アガペ愛推奨」がもたらすのは、単純ではない。
それは教会運営に不純な要素をももたらす。
そのことに留意しておくために脇道にそれた。
本筋に戻ろう。
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筆者は在米中に、あるアメリカ人に、日本人が当然として抱いている無常観を説明したことがある。
取り立てて熱心な信仰者でもない、米国では普通のクリスチャン・ビジネスマンだ。
彼は驚いてこう言った~。
「自分が永続するというのは、私の全てを守る砦(とりで)だよ。
永続しなかったら、私の全ての夢、理想、美、倫理、道徳、愛などみんな崩壊するよ。
残るのは、快楽への突進だけになるよ・・・」と。
もっともなことだ。
では「自分が永続する」という確信を日本人でも、聖書を読んで抱くことができるか。
本稿の主題は、それだった。
あらためて、その探求を再開しよう。
(続きます)