鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

復活はワンランク上の奇跡だった

2022年06月22日 | 永続確信のための聖書解読

 

ここで、イエスの「よみがえり」に対する弟子たちの心情を想像してみよう。 

 

 現在の我々には福音書という書物がある。 

 多くの者は、それを読んだり、あるいは、読んだ者の要約話を聞いたりして、イエスの復活話を、知っている。 

 日本人ではそういう人も少ないかもしれないが、復活祭という言葉くらいは知らず知らずに耳にしているだろう。 

 

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 だが当たり前のことだがイエスと同時代の弟子たちには、福音書はなかった。 

 代わりに、生身のイエスが共にいた。 

 

 その状態で「あの死んだ師匠(イエス)が再び現れたらしい」という情報を得たのである。 

 さすがの弟子も最初は「まさか!」だった。 

 

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 たしかに、「最後の晩餐」でイエスは「自分は殺されて、復活して現れる」と明言している。

だがそれでも最初は「まさか!」であった。 

 

 福音書によれば、彼らはよみがえったイエスを見て、だんだんと「事実かも知れない」と思いはじめていっている。 

 目で見てもそれを現実のことと受け入れるのに、結構な時間を要している。 

  

<「新しさ」のランクが違う> 

 

 理由は一つには、この奇跡は従来イエスが見せた奇跡を、ワンランク超えたものを持っていたからだと思われる。 

  前の回で筆者は「奇跡とは既知の自然法則を超越した新現象五感に認識させるもの」と定義した。 

  その新現象の「新しさ」のレベルが、従来の奇跡をワンランク超えていたのだ。 

 

 <他者を生き返らせる奇跡なら> 

 

 人を生き返らす奇跡なら、旧約時代の預言者エリヤもやっている。 

 

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 彼は、一人息子が死んで悲嘆に暮れていたやもめの、その息子を生き返らせている。 

          (第一列王記、17章17-24節) 

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  イエスはそんなことは繰り返しやっている。 

  

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 死んだ少女に「起きなさい」という言葉を発して生き返らせている。 

          (マルコの福音書、5章40節) 

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 死んで棺で運ばれるやもめの息子の青年を、「起きなさい」という言葉を発してよみがえらせている。 

          (ルカの福音書、7章12-15節) 

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 イエスを慕ったマリア、とマルタ姉妹の弟、ラザロは、墓に葬られて、死後四日たっていた。 

 その墓にきてイエスは「ラザロよ、出てきなさい!」と声を発して生き返らせている。 

          (ヨハネの福音書、11章43節) 

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  これらの奇跡には共通した特徴がある。

 生き返らせた当人であるエリヤもイエスも、自らの身体は変化していない。 

 

 

<復活では自ら変身している> 

 

 ところが、今回の「よみがえり」では、イエスの身体状態が変化している。 

  死んで息をしなくなって、動かなくなって墓に葬られた。 

 それが生き返って動き出し語り出すという、大きな変化を見せているのだ。 

 

 これは過去の預言者も、イエス自身もしたことのない、ワンランク上の奇跡であった。 

  この大変化に、弟子たちの常識感覚がついて行けなかった。 

 

 だから、この「よみがえり」は五感認知できても(目でその姿を見ることができても)、

事実と受け入れるには時間がかかったのだ。 

  

(続きます) 

 

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