脇道に入るのはできるだけ避けたいが、前回の話に、「パラダイス」がでてきた。
この用語は、説教にもよく使われるので、ここで吟味していこう。
パラダイスは天国だと思っているクリスチャンが多い。
牧師さんなど教職者にも多い。
<天国でないことは確か>
どこにあるかを特定することは難しいが、天国でないことは解読できる。
ヨハネは福音書で、マグダラのマリアが復活のイエスに会う場面を記している~
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彼女(マグダラのマリア)は(墓場で天使に)いった。
『だれかが私の主をとっていきました。どこに置いたのか、私にはわからないのです。』
彼女はこう言ってから、後ろを振り向いた。
すると、イエスが立っておられるのを見た。
しかし、彼女にはイエスであることがわからなかった。
イエスは彼女に言われた。
『なぜ泣いているのですか。誰を探しているのですか』
彼女はそれを、墓の管理人だと思っていった。
・・・・(中略)・・・・
イエスは彼女に言われた。
『マリヤ・・・』
彼女は振り向いて、ヘブル語で「ラボニ(先生)!」といった。
「イエスはマリアに言われた。
『わたしにすがりついてはいけません。わたしはまだ、父のところに上っていないからです』
(ヨハネの福音書、20章14-17節)
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~ここで「父のもと」とは天国である。
まだそこにのぼっていないから「すがりついてはいけない」理由はこの聖句からはわからない。
だが、このとき(復活の姿を見せた日曜日)に、イエスがまだ天国に上っていないことはこの聖句からわかる。
そしてイエスは金曜日に、イエスに「天国で私のことを思い起こしてください」といった(悔い改めの)犯罪人と共に、パラダイスに上っている。
ということは、パラダイスは天国ではない、ということだ。
天国でないなら、それは「宇宙の中のどこか」である。
<イエスの空中再臨で復活>
その後、イエスが天国からこの宇宙の中の空中に来て現れる(いわゆる再臨)ことは決まっている。
イエスに頼った者は、このとき新しい身体に復活してイエスに会う。
それまでの間、(悔い改めた)犯罪人はパラダイスにいるはずだ。
そのことから、パラダイスとはこう推察される。
イエスを信頼した人間が、「死んでのぼって、イエス再臨までの間、安息する場所(空間)」だと。
<「天国に凱旋」は間違>>
数日前にもFacebookで、牧師さんからのこんな告知を見た。
「***牧師先生は、(なくなられて)天国に凱旋されました」
「天国に凱旋」のフレーズは日本では定番になっている。
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だけど、「クリスチャンは死んだら天国に超特急、不信者は地獄に超特急」なんて、聖書に書いてないよ。
こういう台詞がプロの教職者によって繰り返されることは、彼らが聖書をいい加減にしか読んでいないことをあらわしている。
このままでは彼らの叫ぶ「日本のリバイバル!」はほど遠いだろう。
(続きます)