鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

米国への無知を正す27  ~吟味する教典の独自性 ~

2015年07月17日 | 米国への無知を正す




本筋に話を戻そう。
筆者は、米国は聖句吟味活動者たちが造った国であることを示してきた。

だが、「だから米国には人類史初の信教自由国家を実現した異例の精神活力があるのだ」といわれてもわからない人が多いだろう。

聖句自由吟味方式が人間の知性と精神に覚醒をもたらす構造を具体的に説明してないからだ。




<教典の独自性を知る>

これを知るにはまず、人々が吟味した教典のもつ特異性から知らねばならない。

スモールグループで自由吟味したのは聖書という教典だ。
これは通常の宗教経典とかけ離れた性格を持っている。

その比類無さを知らないと、その自由吟味活動の実体は浮上しないのだ。


+++

キリスト教活動は、聖句吟味活動で始まった。
その最初の教会を初代教会という。

~これは前述した。

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キリスト教の教典である聖書は、新約聖書と旧約聖書が合体したものである。
今我々は新約聖書も読むことが出来る。
だが、これは後に作成されていった書物である。

初代教会が発足する当時、聖書は、いまでいう旧約聖書のみだった。
聖句自由吟味と言うが、初代教会で吟味されたのは旧約聖書だった。

そこでまず、この教典書物の性格をみなければならないのだ。




<著者は二十人以上いる>

世の中に宗教の教典は多々あるが、旧約聖書という教典は、比類のない性格を持っている。

通常の宗教教典は教祖の行いや語った教えを記したものだ。

すなわち、豊かな霊感に恵まれた一人の人物が、様々な霊的経験をもとに人々に教えを語る。
病の癒しを行うこともある。

そして教祖の死後、弟子たちがその教えを書き残す。
通常の宗教教典はこうして出来ている。

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だが旧約聖書はちがう。
まずその著者は20人以上いる。

彼らはみな飛び抜けて霊感に恵まれていた。
そして「万物を創造した神」と自称する存在から送られる幻を、霊感に受信してそれらを言葉で記録した。

彼らはそれを創造神からのメッセージと「信じて」記録した。

記録が造られた期間は紀元前1500年頃から400年頃までにわたる。
1100年間の長きにわたって、彼等は与えられた幻を霊感受信し記録していった。

彼等はみな、自分の宗教を興そうと思えば出来た霊感者だった。
なのに、バトンタッチするかのように霊感受信とその記録に注力していった。





<預言者>

この超霊感者はみなイスラエル人だ。
古代イスラエル民族に、そういう超霊感者が1100年にわたって周期的に出た。
平均すると50年に一人くらいの割合で出たことになる。

そしてイスラエル民族もまた、それを創造神からのメッセージ受信記録と信じて、保存してきたのである。

これら超霊感者たちは預言者(prophet)といわれている。
受けた啓示を「言」葉にして「預」かる「者」という意味だ。

だから今時に言う「予」言者とは趣が全くちがう。
こちらはもっぱら「先のこと」を予言する人々だ、

旧約聖書の預言者たちは、自分の同時代に観察した事柄も書き残したが、記述の中核は啓示受信記録だった。





<「万物の創造神」が登場>

20人余の著者が1100年にわたって受けた幻を記したというのもユニークだが、もっと独特なのは「万物の創造神」という神が登場することである。

宗教には神が出てくる。
神とは「見えない影響者」と定義できる。

人間はその影響がおのれに及ぶと本能的に考えるので、これを恐れ、拝み、また願い事をする。
だから神は必然的に出てくるのだ。

旧約聖書にも神は登場する。
だが、そこでまことの神とされるのは「万物の創造神」という限定付きの神である。
この神は、自らが創造した被造物をすべて己の懐のうちに収めている。




<在物神たち>

通常、人間が自然に心に抱いていく神は、そういう超越的な存在ではない。
神は「見えない意識体」でもあり、見えない意識体の総称は「霊」である。
だから、神を広く霊ということも出来る。

ともあれ人は通常、様々な物資のなかに染み込んでいるかのように存在する霊体(神)を心に抱く。

たとえば、巨大な岩の中に神(霊)を感じる。
巨大な樹木に遭遇すると、その中に「見えない影響者」を感じる。
周りにしめ縄を張り、内側を清めて拝することもする。

死んだ先祖のために墓石を造り、そのなかに、先祖の霊が存在するとイメージする。
そしてこれを拝し、私事の報告をし、願い事をする。

その他、狐などの動物の中に神(霊)がいるとも考える。
日本全国津々浦々にあるお稲荷さんはこれを祀ったものである。

彫像を造り、その中にも神がいると考えて拝する。
仏像や、日本の道路脇などに見られる石の地蔵さんのなかにも神を感じてお参りする。

あるいは大小様々な社殿を造り、そのなかに神がいるとして、やはり参拝し、願い事をする。

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筆者はこれらの神を、「ものの中に存在するとイメージされる」という意味で在物神(ざいぶつしん)と呼んでいる。









<在物神は感慨のなかに存在する漠然の神>

この神は、人の心の中に感慨として抱かれる。
感慨だから、漠然としたものである。

たとえば、この神が存在しはじめた出発点は不明である。
それを内に含む物質より先に存在したか、後に存在したか、あるいは同時に存在しはじめたか、もハッキリしない。
このように、概念として明確にならず、漠然とした感慨という、それだけの心像であるのが在物神の特質である。





<創造神概念には種々の属性が考えられる>

対して、「万物の創造神」という限定付きの神概念には、様々な属性が演繹(推論)される。

たとえば、自分以外の万物を創造したのなら、それらを創造する前には自分だけが存在したことになる。
そういう「万物に先立って」存在したという属性を筋として見出すことが出来る。
同時に、創られた全ての被造物には、存在に出発点があることになる。

造られたその時点がそれだ。




<時間的無限者>

だが創った側の創造神には存在の始まりがない。
もしあるなら、万物にはそれ以前に存在した可能性あるものも考えられる。
それについては「オレが創った」とは言いがたい。
だから、万物の創造神は無限の過去から存在していることになる。

同様なことが未来についても言えるだろう。
物質や霊は未来においても出現する可能性がある。
もしもそのとき創造神が存在しなくなっていたら、それらを「オレが創った」と言えなくなる可能性がでるだろう。

創造神は将来にわたっても永遠に存在するのだ。

以上をまとめていえば、創造霊は永遠の過去から永遠の未来に渡って存在し続ける時間的無限者ということになる。




<空間的無限者>

時間が出たので空間についても見ておこう。

創造霊は空間的にも無限の広がりを持った存在であるはずだ。
なぜなら、もし有限ならば、その外側の空間との間には境界線(輪郭)があることになる。
そしてその境界線の外にも万物は存在する可能性があり、それについては「オレが創った」とはいいがたいはずだ。
だから空間的にも無限の広がりを持った無限者となる。



<神学が出現>

万物の創造神には、他にも様々な属性が論理的に見出されていく。
こういう考察を進める仕事を神学(しんがく、theology)という。
創造神という意味が限定された神を登場させる宗教では、神学という知的学問が開けていくのだ。

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たとえば前述した創造神の空間的無限者という属性は、異分野の聖句と不思議に繋がっている。

モーセが取り次いだ律法には「私(創造神)を像に刻むな」という戒めがある。
像に刻むというのは、モデルが空間的有限者であって可能になることである。
有限だから大きさに限界があり、その限界線が「形をつくる」のだ。


だが、それは被造物の属性である。
創造神を像に刻むというのは、空間的無限者を有限な被造物として扱うということだ。
自分と御子を最も愛する創造神にとって、それはひどく御旨に反することである。

創造神宗教ではこのように神学という思索領域が開けていく。

++++

対照的に在物神宗教では、こういう論理展開はまったく生じない。
漠然とした感慨でしかない神からは、推論は展開しないのだ。

屁理屈を言ってるように思う人もいるかもしれないが、これは人間の「知力」に大きく関わっている。

人間は神という思いを常時意識の底に抱いて、ものを考え暮らしている。
夜暗闇のなかで、髪の毛を顔にバラリと垂らした女性に遭遇したら震え上がるだろう。
それはその女性が物理的な危害を加えるだろうから、というより、むしろ、霊的な影響を与える可能性に恐怖を感じるからである。

霊的な存在(神)の意識は、かくのごとくに、人の心に常駐している。

その神が単なる感慨に留まり、願い事は「ウン」と念ずるだけの存在か、筋道だってその属性を考えるべき存在であるかは、単なる宗教問題に留まることはない。

それは人の知力の成長に密接に関連しているのだ。

旧約聖書という教典はその筋道を持った神の概念を供給する。
旧約の独特な性格についての話は、次回も続けよう。







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