鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

臨時版2:  60年安保と集団的自衛権~状況の違い~

2015年07月06日 | 米国への無知を正す




臨時版が多いのはよろしくないが、今回の集団的自衛権問題につき、もう一つ追加しておく。




<民主主義国だから国民投票にすべきでは?>

聞くところでは7月15日に強行採決という。

そういう安倍グループに対しては、違憲とは別の、民主主義を根拠にした攻撃も国会で野党からなされている。

「日本は民主主義の国だから、この大問題については、国民投票で決すべきではないか」~がそれである。

これに対して、安倍さんはお爺さんの岸信介首相が強行採決で押し切った60年安保を持ち出して反論する。

その主旨はこうだ~

「あのとき、国民投票にしていたら、安保破棄になっていただろう。
 だが今振り返れば、安保継続が正しかったことが人民もわかっている。 
だから、国民の大勢意見に従えばいいと安易に考えるのは必ずしも正しくない」~と。




<おじいさまの時と同じに考えるのは間違い>

けれどもこうやって安易に類似をいうのもまた正しくない。

日本人民は明治以来、虚像によって政治問題への姿勢を形成してきた。
統治者はそれをわかっていて、そのままで対処してきた。
いわゆる愚民として扱ってきた。

だが、今回の集団的自衛権問題は、60年安保のときと構造が違う。

安倍さんの祖父が首相だった60年安保継続の時は、学生、マスコミが抱いた虚像はマルクス経済理論のそれだった。

これまでも述べてきたが、この虚像は資本主義経済の不平等構造をクリアーに描き出し、
生産手段の私的所有をなくすることによっての平等社会の実現は夢でない

~と夢見させてきた。




<マルクス理論の盲点>

だがこの理論には盲点がある。

生産体(工場、企業)の運営は、実際には難しい。
資本主義社会においても個々の企業の経営者は苦労の日々である。

なのに革命前には何千とあった私企業活動のすべてを中央国家に吸い上げて、国の生産を
官僚機構で計画的に行おうとしたらどうなるか。

それは諸工場にノルマを課し、「命令=服従」システムで、賞罰を与えつつおこなうしかなくなる。
労働者が互いに愛し合う平等なユートピアなどできるはずがなく、国家は逆に隷従社会になる。

にもかかわらず、マルクスは生産体運営の難しさなど「現象であって本質ではない」と無視して理論を展開した。
筆者が思うに、彼は経営のことは知らなかったはずだ。

そしてこの「現象に過ぎない」と無視した要素が、革命後の社会主義社会では大きく効いてくるのだ。



<今も残る説得力>

だが、彼の論理体系は精巧、巧妙に出来ていて、世界の経済学者の多くが「これぞ絶対の真理」だと信じた。

マルクス思想が「隷従社会をもたらす」本質を持つことを初めて筋道立てて明かしたのはハイエクの『隷従への道』だが、それもようやっと第二次大戦末期(1944年。邦訳は1954年)のことであった。

だが、以後も彼の証明について行けない経済学者は依然として多い。

あえて言えば、今でもその傾向はある。
ベルリンの壁が崩壊して、気分としての社会主義礼賛の世論は薄らいだ。
だが、それは気分としてだけで、論理的には知識人“と言われる”人も認知していない。
ことマルクス思想に関しては、日本人はいまも大半が虚像を脱却していないのだ。




<マル経教師だけの経済学部>

そんなわけで、端的な例を挙げれば、立教大学では戦後長い間、経済学部の教授はマルクス経済学者だけという状態だった。
教授会の自治によって、いわゆる「マル経」学者以外の教員を教授たちが採用しないのだ。

もちろん講座も「マル経」のものだけだが、受験生にはそんなことわからない。
知らずにこの学部に入学してくる学生は災難だった。

この大学では「近経」(近代経済学)は(やむなく)社会学部でやっていた。
今はどうなっているか、少なくとも20世紀末まではそうだったのではないか。




<北朝鮮はユートピアだった>

それくらいだから、1960年安保問題の当時には、日本の学生、いわゆる知識人そしてマスコミのほとんどは、「資本主義は人民を不幸にする根源」という気分でいた。

若い人は信じがたいかもしれないが、当時は北朝鮮を地上のユートピアだと日本人民は信じていたのだ。

だから、もしあのとき国民投票すれば、安保破棄賛成の票が遙か過半数を超えていただろう。
さすれば日本国運営の原理はマルクス思想に転じ、今の北朝鮮のようになっていた可能性も低くはない。

本当に危なかった。
あのときの安倍さんのおじいさまの政策は正しかったのだ。




<今回の虚像は憲法九条>

だが、今回は違う。
今回の虚像は憲法九条だ。

強行採決しなくても、国民がただちに地獄に陥ることはない。
北朝鮮のようにはならないのだ。

米国に日本の防衛をお世話になっている状態が、もうしばらく続くだけのことだ。
そこはもうしばらく耐えていただく。
その間に、日本人民を政治課題を実像で考えるよう方向付ける。

もう政治意識をリアリズムベースにしないと、日本の民主制は機能しない状況を続けることになる。
それではアメリカも日本をお荷物として抱え続けることになる。

安倍グループは集団的自衛権問題で、日本人の視野を初めて世界に広めるインパクトを与えた。
今回は強行採決をとりやめ、これを愚民国家脱却の絶好のチャンスとすべきである。









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