本文に戻り、創造神の話に戻ります。
~えっ? まだ創造神?
創造神の概念を、どうしてそんなに長々と語るの ?
~そうお思いかも知れませんが、続けます。
この概念を明確に意識に住まわせていることが、基督教の本質を知るのに不可欠だからです。
<ノアの大洪水>
聖書では、一般の神話をはるかに超えた、大スケールの出来事がたくさん語られます。
たとえば、何日も大雨が降って、地球の全表面が水で覆われてしまい、ほとんどの生きものが死滅してしまう、という事件も記されている。
「ノアの洪水」と言われる有名な出来事です。
<在物神感慨で認識>
これなど、この世の全てを被造物として創った創造神の概念を明確に持っていてはじめて、イメージがついていきます。
宇宙の全ても造った、無限の広がりをもった創造神だ。宇宙のなかの小さな点にも充たない地球を水で覆うなど、何でも無いことだ、現実的なことだ~とイメージできます。
ところが、万物の創造神の理念が明確でないと、そうならない。
そういう、筋(理)がわか(解)るということが心起きません。
「理解」が生じない。
+++
するとどうなるか?
~ああ、なんか、カミサマだから不思議なことをなさるんだろうなぁ・・・としか思えない。
心に生じるのはそういう感慨のみです。
だったら、在(宿)物神宗教やってるのと変わらないでしょう。
日本のキリスト教の大半は、そういう現状です。
だけどそれなら、わざわざ基督教を学ぶ意味はなくなってしまうのです。
(続きます)
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