鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

<SG用再録3> “いのち”はエネルギー

2009年02月01日 | 若者よ、聖書を知れ!
ハワイのISさんより第3回SG用の吟味テーマをいただきました。
最初のコメントもいただきましたので以下に掲載いたします。
ISさん有り難うございました!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


                    


 若者よ。
 創造主が地球を創り、表面を海と陸とに分け、植物、動物をつくったんだったね。
そこに人間を創った。人間には、これらを支配せよ、といった。産めよ増えよ、地に満ちよ、といった。

 それから、ず~と時が流れた。そして今から6千年ほど前に、別の人間・アダムを創った。
このアダムの身体には、「いのちの霊」を入れた。そして彼のいる地、エデンを楽園に造った。

 聖書のイメージ世界を、そこまで紹介し、前回は、霊のことを話したよね。

 今回は、「いのちの霊」のうちの「いのち」を説明するよ。


                    


 「いのちと」いうのは、創造主から発射されているエネルギーだと思ったらいい。
創造主は、いのちエネルギーの源・総元締めだね。

 エネルギーは波を打ってやってくるけどいのちエネルギーもそうだ。つまり、波動をもっている。

アダムの霊は、この「いのちエネルギー」を吸収し蓄積できるように造られたんだ。
このあたりは、充電式の乾電池をイメージしたらいいだろう。

乾電池って、内部に電気を蓄積しているよね。
そして、この電気を放電して、ウオークマンやパソコンを動かしたり、
最近は自動車まで動かすようになってきた。

でも、使っていると、だんだんと蓄積されていた電気の量が少なくなる。
けれども、充電式は、コンセントにつないでまた充電することができるよね。


                    


 「いのち」というのは、この電気のようにイメージしたらいいよ。
 で「いのちの霊」は、この電気を内部に蓄積できる充電式乾電池だ。


                    

 「いのち」というエネルギーを蓄積すると、いいことあるか?
 あるんだよね。
 これが霊の内部にあると、創造主から発せられるいのちの「波動」がよく共鳴する。
すると、創造主の思いがよくキャッチできる。

 また、自分のうちにあるいのちエネルギーの波動を発信して、創造主と交信することもできるんだ。
 この発信が「祈り」だね。

 アダムは、そういうことができる、特別な人間として造られたんだね。

                    

 では、それよりズ~と前に造られた人間はどうかというと、これにも霊はある。
だけど、この霊は、創造主の思いを受信したり、自分の思いを発信したり(これが祈ること)は、できない。

 だって、「いのち」エネルギーがないんだから。
 創造主と同じ種類のエネルギーをもってないから、その波形の波動を発信することはできないわけ。

 人間同士でも、こういうこと多少はあるよね。
 愛し合っているもの同士は以心伝心という。

お互いに言わなくてもある程度、波動でわかっちゃう。
波の形が同じ波動を発信してるんだろうね。

♪ むーごん(無言)、色っぽい ♪

~~なーんちゃってね。


                     

 人間だけでなく、動物にも霊はあるよ。
 かわいがっていたペットが死ぬよね。
 その後、そのペット(の霊)を見たという証言は、た~くさんあるよ。
 こういうことを研究する科学も盛んだ。

 で、こちらの霊も、身体が死ぬとそこから出るんだ。
 正確に言うと、霊が出ると、身体は死ぬし、霊が戻るとまた生き返る。
 生き物はそういう風になっている。

 霊が出ると、肉体のなかの血液循環運動が停止する。
 すると、肉体は、腐り始める。
 そして、崩壊して消滅する。

 腐ると言うことは、崩壊していくことなんだよね。


                    


 動物は、霊があっても、自分を造った創造主なんて全然意識にないよね。
 その状態で、仲間うちで無邪気に生きている。

 アダムの前に造られた人間も、そうだったんだ。
しかし、アダムは創造主の思い、創造主の意識に感応する。
ビンビン感応する。

 そして、この人間の子孫が、現在の我々人類につながっている、と聖書は言うんだ。
さ~あ、どうやってつながってきていると、聖書は言うのか・・・・・。



                    





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39 コメント

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「いのち」について (IS)
2009-02-01 17:42:50
「いのち」について (IS)

2009-02-01 14:51:11

ISです。

今回のテーマとして、「いのち」について学びたいと思います。
みなさまよろしくお願いします。

創世 2:7 「その後、神である主は、土地のちりで人を形造り
、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。
そこで、人は、生きものとなった。 」

この「いのち」=「霊」と理解しています。

私たち人間はみんな、創造主によって与えられた「いのち」を持っている。
この「いのち」=「霊」は肉体を通して顕在化する。

体中がタトゥーやピアスで埋まっている若者は「霊」が
苦しんでいるのかな、と思いました。
日本では自分の体を刃物で傷つけることが習慣化してしまう若者が
多いそうですね。つらいことです。

最近はスピリチュアルがブームになっていますね。
私の知り合いにも興味を持っている人が複数います。
ハワイは特にスピリチュアルな土地だそうで、ヒーリングとかよく聞きますし、
そのためにわざわざハワイに来る方も多いようです。
「霊」の世界に惹かれるということは、
みんなが「霊」を持っていることの証明かもしれません。

こういうスピリチュアルな方の話を聞くと、
全知全能の存在や創造主を信じていることが多いです。
でも、それがキリスト教でなくてはならない、ということは理解できない。
山を登るルートはたくさんあって結局は頂点に到達するように、
信じるものは一つでなくてはならないはずはない、と考えるそうです。
なるほど、分かりやすくて説得力があります。

なんとかイエスキリストのことを分かって欲しいと思いましたが、
どう説得したものかわかりません。

この聖句が心に浮かびました。

1コリント 1:21
「事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。
それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、
信じる者を救おうと定められたのです。 」

自分が愚か者と思われることを恐れないで直接的に話すことだと思うのですが、
実行するのはなかなか勇気が要ることです。

返信する
「いのち」はエネルギーと気づいた頃 (鹿嶋春平太)
2009-02-03 02:25:02
いやぁ~、これは懐かしいです。
この「若者よ聖書を知れ!」というシリーズは、
「薬物中毒になって苦しんでいる若者が、日本に200万人もいる」
と知って衝撃を受けて書き始めたものでした。

+++

船に羅針盤がいるように、人生にも進むべき方向を示すものが要ります。
人生の羅針盤を全く与えられていないのが日本の若者です。
刹那の薬物にふいっと惹かれて経験したら、それで終われなくなった。
中毒になった。

悲しい姿です。
聖書は格好の人生の羅針盤を与えてくれる書物です。
これを知れば、ふらふらとさまよう人生を送らなくてすむようになる。

それで、とにかく、若者に語りかけようとしたのが、このシリーズでした。

+++

初心者の若者相手ですから、「いのち」についても、
あたかも当然のことのように書いていますが、
実際には思案の結果たどり着いた仮説的解釈でした。

聖書には「いのち」という言葉が再三出てきます。
けれども、その意味が春平太にはわからなかったのです。

それは[生きていること」を示す形容詞に使うだけのもの、
という印象で人生を生きてきました。
生きていることを「いのちある」といい、死んでいることを「いのちがない」というようにして・・・。

でも、どうもそれでは聖書の意味がはっきりしない。
あるとき、「いのち」というのはそれ自体で
ひとつの実体を指しているのではないか、という考えが浮かびました。

それは物理学で言うエネルギーのような概念ではないか。
そしてそれは創造主から放射されていて、
人間の霊はそれを吸収して元気になるのではないか。

すると「いのち」は電気のようなエネルギーで、
人間の霊はそれで充電される乾電池のようなものに喩えられないか。

~そういう風にイメージしたら、聖句解釈に
わりあいすんなりと筋が通ってきたのでした。

+++

で、その仮説でもってこれまでの本を書きました。
しばらくして、日本の牧師さんたちの間で、
「いのちをエネルギーとして理解させたのは鹿嶋春平太の業績」
といわれている、と知らされました。

そんなことどうでもいいのですが、とにかく、この解釈でこれまでのところ、
聖句がすっきりと把握されてきております。
なつかしいあの頃を思い出しました。
ISさん、ありがとうございました。

返信する
若者よ、イエスを知れ! (IS)
2009-02-04 07:36:37
「若者よ、聖書を知れ!」シリーズを改めて、よく読ませていただきました。
いのちのエネルギーを感じました。

私の最初のコメントで生物として生きていることの「いのち」と創造主とつながるエネルギーの「いのち」が混同したようになってしまいました。
アダムに吹き込まれて、現在の人間に不完全ながら引き継がれている「いのちの霊」にフォーカスして考えていこうと思います。

アダムのせいで人類は創造主から離れてしまっている。しかし、創造主ともあろう方がそんな中途半端な仕事をしていいのか、と考えてしまいそうです。でも、実はこれが御意なんだと思います。

 人間は創造主につながることを選ぶことができる。それが創造主のデザインだと思うのです。

天使を完全に従順なものとして作ったが、その意思が背くことによって悪魔に変質してしまった。
人間はそれとは逆のアプローチで、人間が自ら創造主につながることを決断することによって、その存在がはるかに「高価で尊い」(イザヤ43:4)ものとなる。
そして創造主とつながることによって人間の霊は完全になる。鹿嶋先生のたとえを使えば、充電池が充電可能な状態になるということです。

人間の霊はみんな、何かを探しています。苦しんでいます。それは霊が完全ではないからでしょう。
そしてそのことに感づいている霊的な人たちも大勢います。だからいろんなスピリチャルなことがもてはやされる。創造主につながりたい、山に登るんだ、自分は正しいんだ、と思ってしまうんでしょう。

でも違うんです。

霊を在るべき姿にしてくれるのは「いのちのことば」だけなのです。
「いのちのことば」=イエスキリスト

若者よ、イエスを知れ!

返信する
しばらく不在ですみませんでした。 (zero)
2009-02-04 13:20:26
子供の出産やら、なんやらで、バタバタとしておりました。

まだ、しばらくは忙しいのですが、また落ちついたら参加させていただきます。
返信する
おめでとうございます (鹿嶋春平太)
2009-02-04 14:22:25
無事ご出産のようで、
おめでとうございます。

今回は、ほんとにウサギマークですね。

返信する
おめでとうございます。そして疑問です。 (IS)
2009-02-05 17:12:19
zeroさん
お子様のお誕生おめでとうございます。
豊かな祝福がありますように、お祈り申し上げます。

ところで、人間の霊はいつ肉体に宿るのでしょうか?
まだ何も調べていないのですが、いろいろな説がありそうですね。
聖書には何か書いてあったでしょうか。

返信する
平行してもう一本 (鹿嶋春平太)
2009-02-06 15:01:57
Isさん、
これに平行してもう一本
テーマをたててみてくれませんか?

いろいろあった方が、
知性が躍動しやすいかもしれません。
返信する
一つ提案です。 (IS)
2009-02-08 11:48:25
鹿嶋先生

身近な話題にしたくて、ワインをテーマにコメントしてみました。

テーマを探すのはなかなか難しいですね。おかげさまでいろいろなエントリーを読むことができますが、内容が濃いのでなかなか理解が追いつかないですし、お説ごもっともでコメントしようがないということばかりです。
気負わずぼちぼちやっていければと思いますが。

先生のエントリーにかかわらず、聖書から感じたことや疑問、または体験したことや悩みなどをコメントに書いて、そこから先生にテーマとしてエントリーを立てていただくような、参加者のための受け皿はできないでしょうか。
私が立てたテーマばかりではつまらなくなると思いますし。

コメントはなくても先生のチャーチにアクセスしている方は結構いらっしゃると思うのです。

ご検討ください。

IS
返信する
やってみてはじめて (鹿嶋春平太)
2009-02-08 18:14:01
ISさん、
やってみます。
ご苦労様でした。

やってみないと知り得ないことを
たくさん学ぶことが出来ました。
やってみた価値は大きかったです。
返信する
ありがとうございます (zero)
2009-02-08 22:33:15
ISさん

祝福のお言葉ありがとうございます。
人生の先輩方が通られた道を、私も体験し、
味わい、楽しみ、学ぶことになるのだろうと思います。

精一杯、主から預かった二人の子供を愛し、教え、見守りたいと思います。

さて、人間の霊がいつ肉体に宿るか?
というテーマですが、非常に興味深いですね。

詩篇辺りには、胎児に関するみことばがかなり多く出ていたような記憶ですが、もう一度、フォーカスしてみことばを散策するのは意義深いと思います。

パソコンで、「胎」と言う文字で一度聖書を検索してみたり、してみます。

それから、私には、中~重度の自閉症を持った姪がいます。彼女自身はことばを理解できないわけではないのですが、おそらく聖書を読んだり、落ち着いて人の話を聞くことはこれからも困難であると思われます。

そんな姪や、知的障害を持った人たち、認知症の老人等の救いとは、どのようにして与えられるのだろうか?という疑問が私には少なからずあります。

「いのち」の分与は、人がするものではないのでしょうが、種を蒔くのは目に見える形では人です。

人はどの土壌に「いのち」が根付くかはわかりっこないのですが、人である以上、知的な障害があろうとなかろうと「いのち」が与えられると信じます。

また、これらのことについても様々なコメントが交わされればいいな、と思っております。
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