若者諸君。
聖書の世界観、歴史観は概略、これまで示したようなものだ。
これは真理だろうか?
なかなか判断しがたいことだよね。
だが、イエスの弟子たちは、このイエスの教えを真理だと確信した。
たくさんの奇跡も見たしね。
彼らが、自分が「永遠の」幸福への道を確保した、と確信した最初の人々。
これは永遠にかかわることだからね。
世の中、永遠でないことがたくさんあるけど、それは、時が流れればいつか終わる。
悲しみも、苦しみも、いつか終わる。
時は流れを止めないからね。
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だけど、永遠なものは終わらない。
だから、終わるものと永遠なものとのどっちが大事かというと、永遠だよね。
そこで、まず、永遠の幸福を確保する。
そして、その次に、終わることにも努力を注ぐ。
イエスはそういう生き方を勧めた。
この世のことは、すべて、いつかは終わって消滅するけれど、全く大事でないことはない。今、人間はこの世で生きてるからね。
だから、そこでもがんばるが、それはまず、永遠な幸福を確保してからだ。
弟子たちは、イエスの言葉に従った。
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こういう世界観を真理だと思った人には、自然と使命感が生まれるようだ。
イエスの弟子は、この知らせを、できるだけ多くの人々に知らせようとした。
伝えられた人の中からも、「この知らせは真理だ」と感じる人たちが出た。
彼らにもまた、それを伝えようという使命感が芽生えた。
新たな弟子になったんだね。
で、知らせる。
と、また、真理だと思う人が出る。
・・・こうして、イエスの教えは、今日まで広がってきたんだね。
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でも、諸君は、これを真理だと思う義務はないよ。
それでも、この世界観を知ることは、有益だ。
信じて無くても、それを知っていると違ってくる。
何か他の教えを受けたとき、それを比較してみる材料になる。
比較は客観的にものを見るために、不可欠な手段だからね。
冒頭にも言ったけど、「心になにも世界観がない」というのが一番危険だ。
イブだって、一定の世界観、人生観が心にないからやられた。
悪魔の提供する世界観が、心に残ってしまったからね。
~~以上で、聖書の世界観の概略説明を終わります。ず~と読んでくれた人がいたら、ありがとう。
鹿嶋春平太
私も大学までは、目的がなく生きていた若者でした。
しかし、イエスにしか選択肢が残されていないと気づき、信じてからは、日々、心と霊を充電して生きています。
その頃に鹿嶋先生のブログを読んでいたら、回り道せずに、もっと早く信じられていただろうなと思います...。