鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

地で拘束するものは天でも

2005年01月12日 | KINGDOM原理からの聖書解読
聖書には「天の王国にはこの地上と対応する場所がある」という奥義があるのではないか、の続きです。もう一つ、聖句をあげて考えておきます。ここは、とても大事なところに思うからです。

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 マタイ伝の16章に、イエスの次のような言葉があります。弟子のペテロに語ったものです。

 「私はあなたに天の王国の鍵を与えます。あなたが地上で拘束するものは、天でも拘束されます。そして、あなたが地上で解放するものは、天でも解放されます」(マタイ伝、16章19節)

 意味のわかりにくい聖句ですね。これなど、「天の王国に地上に対応する場所がある」と考えたときのみ、かろうじて事態が明確にイメージできるようになるのではないでしょうか。

 「拘束(bind)する、解放(loose)する」というのは具体的に何を拘束し、何を解放するのか、難しいですね。これがはっきりわかったら誠に有り難いです。しかし、それが漠然としたままでも意味が解せそうです。

 (当面、春平太の意識に来るのは、「闇の権(悪魔、悪霊の力)を縛る、拘束して働けないようにする」と「その闇の権から人を解いて解放する」です。しかし、ここは急がないようにいたします)

 そこはとにかく、「何かを拘束する、解放する」にしておきます。でもそこに地上のことと天の一部とは対応している、という思想があるならば、一つの解読を考えていくことが出来ます。

 つまり、イエスはこういっていると解するわけですーーー「ペテロよ、あなたが地上で何かを拘束すれば、その行為は天の王国でも実現されるように、あなたが望めばそうなるようにしましょう。何かを解放すれば、あなたが望めば天の王国でもその行為が実現しているようにしましょう」と。

<天の王国でもそれを実現させる鍵> 

 これは特別なことでしょうか。そうだと思われます。天の王国で実現するのは、創主の「御心にかなったものだけ」です。前回示しました「主の祈り」の、「御心が天になるごとく・・・」はそのことを示しています。

 創主の御心にかなっていないことは、地で行っても天では同じことが実現されることはないわけです。そして、地だけで実現しているものは、みな、消滅していく。お釈迦様の説かれる諸行無常の法則に従っていくわけですね。

 だから、地上で実現することがすべて、天の王国でも対応して実現することはありません。この世での多くの行為はそうでしょう。「だが、ペテロが束縛したり、解放したりする行為は、あなたが望むものにはすべてそうするよ」ーーーこういう風に上記のイエスの言葉を解読することが出来ます。

 そして、そういう特権を与えることを、「天の王国の鍵を与える」とイエスは言っていると解するわけです。天の王国(の、地上に対応した場所)を開いて、地上で実現したことを天にも実現させることの出来る特権ですね。

<地上での束縛、解放が持続力を増す>

 天にも束縛や解放を実現させると、何かいいことはあるのか。あるでしょうね。地上で実現したことは、時とともに消滅していきます。だが、天にも実現しているとなると、地上でのそれは持続力を持つことになるでしょう。

 天で実現されたものは、反復上演され、持続するものだからです。地上で実現されたものが、消滅していっても、また祈りでもって、天から“降ろせば”再現する。そういう資格を持ったことになる、と考えられます。すると、地上でのそれは同時に力の強いものにもなるでしょう。

 ペテロの地上での拘束と解放には、そういう特性が与えられた、という道理になります。解読が妥当かどうかは、おのおの考えてみて下さい。
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