鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.35『天の王国に昇ったものは誰もいない(3章)』

2005年01月05日 | ヨハネ伝解読
 「この地上のことを語っても信じられない者に、天の王国のことがわかるはずない」

ーーーイエスのこの言葉でもって、話は、ぽーんと転換します。ここで、彼は自分が語っているのは、みな自分が直接見たことなのだ。推察で言っているのではないのだというのです。

 具体的にはこうです。わたし(イエス)の話は、見えない霊的な世界に関連したことであり、それは王国に関わることなのだ。けれども、わたしはそれを見て話しているのだ、という。

 となれば、イエスは、自ら天の王国にいたことがある、と言っていることにもなります。実際彼は、続いてこういっています。

 「王国に行ったものは、いまだ、誰もいない。だが、天の王国から下ってきたものはいる。それは、人の子(イエス自身のこと)なのだ」(13節)と。

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 イエスは、ここで自分が天の王国にいて、そこから地上に下ってきたものだ、と宣言しているわけです。ヨハネは、そのことを記録してくれています。そして、この言葉は、さらにもう一つの聖書の思想をも、示唆しています。

 すなわち、少なくとも、イエスがこれを語っている時点までには、死んでその霊が王国にのぼった人間は、一人もいない、という思想です。聖書は、イエスの口から出た言葉は真理だという大前提で編集された本です。ヨハネが記録したこの言葉は、そのまま聖書の思想とみるべきものなのです。

 それが、天の王国にのぼったものは誰もいない、と言っている。すると、こういう疑問が生じます。では、旧約時代の預言者たち、モーセや、エリヤやイザヤをはじめとする人々、これら信仰の人はどこに行ったことになるのか、と。

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 聖書の論理では、旧約時代の人々は、創主の意図が感知できなくなった人々です。だが、預言者は例外的存在です。彼らは、創主からの啓示を霊感で感知し、それを、言語化して記録しました。聖書には、それらが収録されているわけです。

 そして、彼らは、受けた啓示を真理だとして信じました。だから、その信仰が正しいものと、創主によって認められた例外的な人です。我々の常識で言えば、そういう人は死んだら天の王国に行かれたはずだ、となるでしょう。

 ところが、「これまでに天の王国にのぼったものは誰もいない」とイエスは言う。彼らの霊は、どこにいることになるのでしょうか? 次回にはそれを解読しましょう。
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