岩波ホールで、ようやく『胡同の理髪師』(ハスチョロー、2006年)を観ることができた。終了1日前だ。
中華民国成立翌年に生まれたという92歳のチンさんは、実際の理髪師。19世紀イタリアの農村を描いた『木靴の樹』(エルマンノ・オルミ)と同様、俳優でない主役の存在感がある。
映画は、チンさんが友だちのチャンさんの髭を剃るシーンで、小気味良い音とともに始まる。そして朝、チンさんが起きる前の部屋の様子が映し出される。この影の写し方に、既に映画的濃度が高い。この予感は、チンさんが三輪自転車でゆっくりと胡同を走るシーンで、さらに高まっていく。ああ、素晴らしい空気、佇まいだなと感じるシーンが、映画の最後まで、そこかしこに現れて、気分の残像がずっと残った。
いろいろとユーモラスなシーンが多く、映画館もそこらで沸いたが、むしろ目立たない演出にセンスのよさを感じた。老人仲間で麻雀をする部屋では、付けられているテレビを誰も見ていないのに、カメラがそのテレビの水着ショーを追い続けるのがひたすら可笑しい。友だちのミーさんが独り亡くなっているのを発見したチンさんが、遺体が運び出される横で煙草を吸う姿はとても哀しい。また、ミーさんちの黒猫を引き取り、その後、猫がチンさんを眺め続ける姿はなんともいえない。
胡同の四合院には、中庭に白菜や練炭が積んであり、唐辛子や大蒜が吊るしてある。国は違っても、観ていて懐かしさが膨らんでいく。ただ、やはり現代の胡同の姿であり、開発に伴って姿を消すプロセスが描かれている。『胡同のひまわり』(チャン・ヤン)でも出てきたが、解体される予定の建物には、「拆」とペンキで印が付けられる。チンさんは、自分の家が解体されるのに、その際のカネに執着せず、「折」と間違えて書く若者に注意したりする。
実際に撮影された胡同は、故宮博物院や景山公園の北側あたりのようだ。以前、上海で働く若い中国人カメラマニアのS君が、あのあたりは撮影していて楽しいと教えてくれたのを思い出した。
映画は淡々と終っていく。胡同が無くなるからどうとか、世代交代がどうとか、そういったメッセージを過剰に出さない演出に好感を持った。人の生活、積み重ねているもの、人それぞれの気持ち、そんなものをじわりと感じさせる素晴らしい映画だった。観てよかったと思う。
パンフでは、森まゆみさんが、自分たちの住む近所で、老人たちが太極拳、合唱、芝居、ダンス、凧揚げ、自転車乗り、お喋り、麻雀に興じている中国の風景を羨ましがっている。そして、上野の不忍池をそんな老人天国にしてみたいと書いていて、つい笑ってしまった。