オウム瓦解の頃のドキュ『A』を撮った映像作家、森達也による軽いルポである。近場にありながら、視線がそこに向かわないような構造が出来上がっている場を訪れ続けた記録だ。
刑が確定するまで収監される場所であり、死刑囚の場合は、刑の確定すなわち死刑執行まで収監される東京拘置所。何度も前を通って気になる存在だったモスク・東京ジャーミイ。ドヤ街・山谷。江東区横網にある、東京大空襲の犠牲者を祀った東京都慰霊堂。大村益次郎が官軍兵士を祀った東京招魂社、のちの靖国神社。東京都中央卸売市場食肉市場、または芝浦と場、または「屠る」という言葉をぼかさない芝浦屠場。東京入国管理局。
確かに直視しないようになっている側面があることが否定できない存在ばかりであり、読んでいてなるほどそうなのかと知ったことも多い。そして、視線がぐにゃりと知らぬ間に曲っている以上、それぞれに不条理な点が見え隠れする。著者の呟きは、その非対称さをざらざらとした手で触れるようなものに思われる。しかし、それだけだ。脈絡のない無駄話が多く、ルポと呼ぶには不充分である。
ついでに、撮っておいた『A』(1998年)を半分弱だけ観た。それだけで言うのは良くないかもしれないが、歪められた事象をざらざらと触り、宙ぶらりんにしたまま酒を呑み続けているような印象である。なかなか難しいプロセスの提示という、映像の作り方は半ば納得できる。しかし、このような文章でのルポは、書籍という形での再生産に耐えないのではないか。