最近の写真展をいくつか。
清水哲朗「中国・国境線を行く」(オリンパスギャラリー東京)は、北京のみならず、内モンゴル自治区、新疆ウイグル自治区など中国でもマージナルな場所にある都市の風景を写した写真群。北京、夜の胡同をローアングルから広角で撮った写真や、カシュガルの子どもたち、内モンゴルで馬頭琴を作っている写真などがとても新鮮で良かった。ただ、やはり全てデジカメ(オリンパスE-3)、デジタルプリントであり、写真がそれ以上でもそれ以下でもないような存在感にとどまっているようにおもった。その奥に何かがあるのは、銀塩プリントなのではないか・・・比較すべきではないかもしれないが。
飯田鉄「まちの呼吸」(ことば:寺田侑)(お茶の水画廊)は、入ったときに、ちょうどオープニングパーティーをやっていた。狭いギャラリーで少なくない人たちが雑談や挨拶なんかをしていて、落ち着いて観ることができない。自分も花粉症なのか洟をたらしていて、とても酒をもらってうろうろする元気がない。
写真はすべてモノクロプリントで、飯田鉄さんならではの地味な「佇み」が漂っていた。十八番の質感のある建物も、夜店で「人がそこに居る」作品もある。良いに違いない写真群だった。それだけに、1枚1枚を小さな穴の中を覗くような気分でこそ観たかった。飯田鉄さんもM型ライカを首から下げておられた。今度は人が少ないときに再訪したいとおもう。
榎本敏雄「薄明の記憶・京都」(gallery bauhaus)も、すべてモノクロである。正直言って、フラッシュを焚いて撮った芸者や子どもたちの写真は、趣はあるものの、薄明でもなんでもなく、まったく好みでない。しかし、地下に展示されている桜の写真群は印象的だった。絞って長時間露出を行うことにより、桜の枝や花が妖怪の手のようにうごめいている。また、フラッシュを焚いて、近くの散る桜の花びらや、水しぶきや、雪を際立たせた作品群にも心が動かされた。水たまりに浮かぶ桜の花びらにはピントを合わせず、反射する枝のシャドウに視線を運ぶ写真も良かった。
アートスペース・モーターで何人かの作家を集めて展示した「コレクション・ミニ展」では、北井一夫さんのいろいろな作品を観ることができた。『おてんき』からは、ランプにたかった蛾の写真。『村へ』からは、三里塚の農作業風景。『北京』からは、北京のボートの写真。それから何の作品集からかわからないが、マルセイユの街の珍しいカラー写真。北井さんの薄いトーンのプリントはずっと観ていても飽きない。もっとも好きな写真家のひとりである。