Sightsong

自縄自縛日記

『季刊d/SIGN』の「写真都市」特集

2008-04-20 23:52:59 | 写真

『季刊d/SIGN』(no.15、2007年12月、太田出版)が、「写真都市」と題した特集を組んでいる。これが滅法面白い。行き止まりなのか、曲がり角なのか、変革期なのか、どうも写真という存在がよくわからないいま、それを捉える気概のようなものもあちこちで噴出しているようにみえる。

冒頭に、森山大道氏のインタビューがある。最近、国外を含めて人気がまた沸騰しているが、本人のスタンスも語りも以前と同様にみえる。世界との擦れを、焦燥感に駆られながら記録していき、ネガがまとまると憑りつかれたように暗室作業を行うという森山氏は、その圧倒的な量のなかに身を置くことによって、そのときの世界の「コード」を見出すのだという。黒と白のコントラストが一見豪胆なようでいて、実はど演歌か童歌のような叙情性が、森山写真の背後にはあるとおもう。

評論家の伊藤俊治氏は、ポストコロニアル、エグゾティシズムというキーワードから、クロード・レヴィ=ストロースのブラジル写真や、アーヴィング・ペンの『ダオメ』に迫っている。氏の言わんとしていることは、このような記録にある視線と過程は、単なるオリエンタリズムとして片付けられるものではなく、写真というメディアのもつ<わしづかみ>の全体性をもって捉えるべきだ、ということだと読んだ。全体性であるからこそ、<他者>との関係や想像力も、単一方向のものではなく、カオスの中で反響するからだ。しかし、そのような主張は、写真家たちのふるまいやその受け止められ方が、当時の世界においてどうだったのかではなく、現在の私たちが写真に含まれている情報を発見し、検証していくというスタンスでなされているのではないかと感じた。これは、何か意味があることなのか?

●参考 「まなざし」とアーヴィング・ペン『ダオメ』

もうひとつ、動悸動悸しながら読んだのが、富士フイルムの技術者2人によるフィルムやデジタルの解説である。カラーネガ、リバーサル、白黒のラティチュードとプリントとの関係。「ベルビア」や「コダクローム」についての論評。プロラボの行方。白黒印画紙の行方。アナログの力。写真を撮ることは、ここまで発展した産業に組み込まれることであるから、もっと技術的な側面について理解しておかなければいけないと思う。