銀座ニコンサロンで開催中の『土田ヒロミのニッポン』を覗いた。
主に70年代以降の、この写真家による代表作からピックアップされている。「俗神」(1968~74年)では、青森、浅草、富士山、伊勢神宮などの場における、ひとの蠢きが記録されている。対象は汁が滴りそうなくらいの生き物なのだが、写真はドライというのか、皿のような眼でみているような感がある。土俗といえばキャッチフレーズ的で簡単だが、ここではむしろ、どのような存在であれ無数の神になりうる無数の地場に惹きつけられるものがあった。
これが、本当に無数の群集を捉えた「砂を数える」(1975~89年)になると、何といえばいいのか、写真家の目線もそうなのだろうが、観るこちらも何ものかに圧倒されて距離を置くほかなくなるようだ。
モノクロプリントは、富士フイルムの多階調バライタ紙であるレンブラントが使われていた。このような質の作品群を観ると、本当に眼が悦び、重心が下がるような気がする。
「新・砂を数える」(1995~2004年)や「続・俗神」(1980~2004年)は、フィルムのデジタル化、エプソンのプリンター出力に移行している。写真家は楽しんでいるのだろうそれらは、やはり、神の眼でもなく、同じ場を共有する人の眼でもなく、記録者としてのものだとおもった。
今回は展示されていなかった「ヒロシマ」も含め、数十年も持続して記録してきた跡の迫力ということだろうか。そして、安易な感情移入や解釈を許さないものがあるように感じた。