Sightsong

自縄自縛日記

オーストラリアのアート(4) アボリジナルアート、フィオナ・ホール、グリーソン、ドライスデイル、ボイド

2008-05-19 08:55:10 | オーストラリア

シドニーでは、もう仕事が終って休日、乗り継ぎの関係で1日ゆっくりと使うことができた。

●現代美術館(Museum of Contemporary Art)

3階では、『彼らは瞑想している』と題された、おもに北部準州(NT)のアボリジニたちによる、1960年代以降の樹皮アートが展示されていた。モチーフ、人、カンガルー、エミュー、蛇、鰐、ディジェリドゥ(楽器)、魚など様々だ。面白いのは、それぞれ模様を大き目の格子で区切ったり、内臓を模様として描いたりといった共通点が見られることだ。樹皮の上に、白や茶や黒の色が付けられている。

なかでも、指導者的な立場であったイラワラ(Yirawala)の作品がフィーチャーされていた。実際に、カンガルーを狩る人の絵など、他の作品よりも動きの表現が豊かで、また手形を隙間にスプレーで付けるなど余裕が感じられた。

会場の一角には、映像コーナーが設けられていて、60年代の記録映像を観ることができた。祭祀の様子なのだが、大勢が木と木を1秒に1回くらい叩き続け、そのテンポでステップを踏みつつ踊っている。観ていたら、疲れていたこともあって、居眠りをしてしまった。


イラワラの作品(1970年)(一部分)


イラワラの作品(1976年) ポストカードより

階下では、フィオナ・ホールによる『力の場』と題した展示を行っていた。キャンベラの国立美術館でも観たのだが、缶などから生えた植物を模した金属のデリケートな彫刻のシリーズが最も有名なもののようだ。ここでの展示を観ると、それが精巧なミニチュアの面白さのために植物を題材にしているのではなく、壊れやすく多様な自然を大事に考えていることがよくわかる。特に、新聞紙を使って自然を模した作品や、紙幣の上にさまざまな植物の葉のドローイングを配したシリーズなど、世界への愛情さえ感じられる。エロチックだったりもするのだが、それも、いのちという文脈でみえてきた。


アルミのサーディン缶にジャイアントケルプを配した作品(2007年)

●ニューサウスウェールズ州立美術館(Art Gallery of New South Wales)

とても大規模な美術館であるから、地下3階の現代アボリジナルアートと、1階の20世紀オーストラリア美術に絞って観た。

現代アボリジナルアートについては、『Living Black』と題されていた。


子供向けに頒布しているパンフ

上述の樹皮アートとは異なり、平面上に描かれるアボリジナルアートは、多くのドットとその集合によるうねりを用いて、洞窟、沼、川、食べ物などの世界を表現する共通点がある。しかし、かろうじてそのような分類に入る作品でも個性がそれぞれ異なり、また、当然、類型からはみ出す拡がりがある。

例えば、
ヤクルティ・ナパンガティ(Yukultji Napangati) 黄色とオレンジのドットによるうねり。
ワラングラ・ナパナンガ(Walangkura Napanangka) 黒地に赤・白・黄の浮き出たドットによるうねり。他の作品では線も効果的に使っているようだ(→ リンク
ロゼッラ・ナモク(Rosella Namok) 黒地に縦何本もの薄い茶色のグラデーション。川をあらわしている。他の作品でも縦線を使っている(→ リンク
ルーシー・ユケンバリ・ナパナンガ(Lucy Yukenbarri Napanangka) 白、黄、赤、紅などのドットによる色分け。食べ物をあらわしている。
ローナ・ナパナンガ(Lorna Napanangka) 黒地に赤ドットのクラスター群。ゆるいうねり。

こういった若手よりも何回りも上の、エミリー・ウングワレー(Emily Kngwarreye)の作品展が、今月から国立新美術館で開催される。いまからとても楽しみだ。残念ながら、この美術館では展示していなかったが、アボリジニの芸術家たちのなかでもとりわけ評価されているようだ。(→ リンク

1階には、20世紀オーストラリア美術の広いコーナーがある。先述の国立美術館で観た、ジェームス・グリーセンやアルバート・タッカー、シドニー・ノーランはもちろんだが、アーサー・ボイドによる終末的、カタストロフィー的な作品が多数展示されていて、これにも興奮した。


アーサー・ボイド(1966-68年) ポストカードより

また、ラッセル・ドライスデイルによる、エッジのくっきりしたアボリジニの絵やゴールドラッシュ跡のゴーストタウンの絵なども素晴らしいとおもった。


ラッセル・ドライスデイル(1947年) ポストカードより


オーストラリアのアート(3) グリーソンらのシュルレアリスム、ノーラン、デュペイン

2008-05-19 08:00:00 | オーストラリア

●オーストラリア国立美術館(National Gallery of Australia)

キャンベラの国立美術館では、『オーストラリアのシュルレアリスム』と題して、おもに1930年代、40年代あたりの作品が集められていた。解説によると、ヨーロッパにおけるブルトンやフロイトらの動きに起因する精神分析的な作品ではなく、マグリットやダリなどのイマジナリーな側面が、オーストラリアにおいては強く影響していたようだ(もっとも、ダリには両方の側面があるのだろう)。そして、オーストラリアでも、自国のシュルレアリスムの歴史は最近までほとんど認識されていなかったという。


図録の表紙と裏表紙(ともにジェームス・グリーソンの作品)

展示作品のなかでもっとも鮮烈だったのが、ジェームス・グリーソンによる悪夢の世界だ。この細密さは真っ先にダリを思い出させるが、脈打つようなマチエールはエルンスト的でもある。もちろん、世界はグリーソン独自のものだ。

クリフォード・バイリスアルバート・タッカーらのユニークな作品もいい。また、写真家マックス・デュペインによる、「無関係なものを無意識的に組み合わせる」というシュルレアリスムの典型的な作品群も悪くない。

○『オーストラリアのシュルレアリスム』展の解説(グリーソン、デュペイン、ボイドなどの作品群を「Selected Works」で観ることができる) → リンク
○グリーソンの作品群(今回の展示外)① → リンク
○グリーソンの作品群(今回の展示外)② → リンク
○バイリスの作品群(今回の展示外) → リンク

別室では、シドニー・ノーランによる『ネッド・ケリー』のシリーズがまとめられていた。ネッド・ケリーはオーストラリアの19世紀のアウトローであり、いわば大衆的ヒーローである。とても人気があり、先述の国立フィルム・音響アーカイヴでも、最近映画化された際のマスクや衣装なんかの小道具を展示していた(その前は、ミック・ジャガーがケリーを演じたこともあるそうだ)。市場でもオーナメントの類になっている。

たまたま子どもたちの社会見学に鉢合わせして、学芸員が解説するのを聞くともなく聞いていた。学芸員が「ネッド・ケリーは体制に立ち向かった人のiconなのです。iconって何だかわかりますか。」と尋ねたところ、子どものひとりが「symbolのようなものだね」と答え、完璧な回答だと褒められていた(笑)。実際、ジャン・コクトー『オルフェ』の劇のデザインなど、グラフィックな面でも活躍したノーランによるケリーのマスクは、違和感をあえて感じさせるようなセンスのものであり、ケリーの活躍から逮捕までを続けて観ると絵物語のような効果があった。


シドニー・ノーランによる『ネッド・ケリー』シリーズの1枚

●オーストラリア国立アーカイヴ(National Archives of Australia)

シュルレアリスムの流れにも位置づけられていたマックス・デュペインだが、ここでは、依頼仕事の成果をまとめて展示していた。二眼レフ、ローライコード(これも展示してあった)で撮影された自然光に溢れた作品は、あまりにも強い陽光によってハレーション気味であり、優しく、悪くない。

しかし、企業からの依頼による工場や労働風景の作品は、当然だが固定したイメージをあえて見せるだけのものであり、たいして面白くもなかった。このあたりの作品群はスナップではないから、依頼仕事らしく大判カメラで撮影されている。室内では、デュペインの撮影風景や白黒プリントの様子がヴィデオで流されていた。暗箱はサンダーソンとか言っていただろうか、レンズはツァイスのテッサーだった。そして引き伸ばし用のレンズはシュナイダーのコンポノン180mmF5.6。