Sightsong

自縄自縛日記

ジャズ的写真集(3) 内藤忠行『NABESAN』

2008-05-31 23:05:41 | アヴァンギャルド・ジャズ

『ZEBRA』などでも有名な内藤忠行による『NABESAN』(1977年、秦流社)は、渡辺貞夫を追いかけた写真集である。

言ってみればアイドル写真集のようなものであるから、「talented」な音楽家であるナベサダが、世界を旅し、大物の音楽家と渡り合い、豪快に大自然に溶け込み、しかし地道な練習を欠かさない、・・・といったような世界がわかるようなつくりになっている。といいつつ、やはり予定調和にはなっていないのであって、30年以上経った今でも疾走感やリアル感がギンギンに伝わってくる作品群だ。

『アット・ピットイン』や『サダオ・ワタナベ』といったレコードジャケットで見覚えのある作品も多い。ブレや高感度フィルムによる粒子を生かしたカットはとても上手い。間に挟まる、アフリカの動物や風景、ニューヨークの街並みなども絶妙。

観ていると、マウスピースの隙間から時折発せられるキュッキュッというノイズが思い出されて、ナベサダのレコードを聴きたくなってくる。


『アット・ピットイン』のジャケットに使われた写真


顔を隠すこの迫力


時折挟まれるインターミッション


夜の疾走感がとてもうまい


これからの備忘録

2008-05-31 14:36:35 | もろもろ

●エミリー・ウングワレー @国立新美術館 5/28-7/28 >>リンク >>感想
アボリジナルアートの大きな存在。オーストラリアでも観ることができなかった。

●青春のロシア・アヴァンギャルド @ザ・ミュージアム 6/21-8/17 >>リンク
亀山郁夫『ロシア・アヴァンギャルド』(岩波新書、1996年)を読んでから気になる存在だったフィローノフの作品も含まれているようだ。

●短編調査団 沖縄の巻 @neoneo坐 6/11 >>リンク >>感想
どれも観たことがない『沖縄から来た少年』(1969年)、『シーサーの屋根の下で』(山崎定人、1985年)、『あけもどろ』(野村岳也・田野多栄一、1972年)の3本。とくに『あけもどろ』の野村氏は『イザイホウ』を撮った人であり、読谷の土地を取り上げていることに注目。

●細江英公 『胡蝶の夢 舞踏家・大野一雄』 @写大ギャラリー 4/9-6/8 >>リンク >>行けなかった
大野一雄は、むかし『天道地道』を観た。色気に期待。

●平カズオ 『ブリュッセル ―欧州の十字路の街で―』 @銀座ニコンサロン 6/25-7/8 >>リンク >>いけなかった
この、ライカと銀塩にこだわり続けた写真家が住んだブリュッセルの作品は、写真雑誌で散見してきた。オリジナルプリントを観るのが楽しみだ。

●北井一夫 『表現派 ドイツ』 @ギャラリー冬青 7月 >>リンク >>感想
三里塚のあとで当時評判が芳しくなかったそうだが、奇妙な建築の写真群はいいと思う(DVD『北井一夫全集2』に収録されている)。

●坂田雅子 『花はどこへ行った』 @岩波ホール 6/14-7/4 >>リンク >>感想
枯葉剤の問題は風化していない。ジャン・ユンカーマンが協力している。

●マーク・フランシス、ニック・フランシス 『おいしいコーヒーの真実』 @渋谷アップリンク 5/31- >>リンク >>感想
エチオピアのコーヒー農家の様子、ひいては国際流通構造を垣間見るために。

●裁判員制度はいらない!6/13全国集会 @日比谷公会堂 6/13 >>リンク >>行けなかった
『けーし風』読者の会に参加された方からご案内いただいた。勉強不足ながら、気になっていることのひとつ。

●盤洲干潟をまもる会 「初夏の干潟自然観察会」 @盤洲干潟 6/15 >>リンク >>記録
小櫃川河口に残された自然。

●翁長巳酉 『エルメート・パスコアール秘蔵映像モロ出し』 @UPLINK FACTORY 6/17 >>リンク >>気が向かず行かなかった
エルメート好きなのだ。マイルスとの共演とか、ナベサダを困惑させた日本公演とか、出てこないだろうか。

●「沖縄戦首都圏の会」総会 @明治大学リバティタワー 6/20 >>リンク >>記録
会の設立から1年。森住卓氏による『沖縄・ヤンバルの森から、「集団自決(強制集団死)」の現場へ』講演。

●藤本幸久 『Marines Go Home - 辺野古・梅香里・矢臼別』 @ポレポレ東中野 7/26- >>リンク
このような、沖縄、北海道、韓国をリンクする試みがあったとは知らなかった。


讃岐の彫漆、木村忠太

2008-05-31 10:34:43 | 中国・四国

所用で広島、新居浜、高松と移動して、最後に1時間ほど時間ができたので、高松市美術館の常設展を観た。今年度の第1期常設展として展示されていたのは、讃岐漆芸、とくに何十回、何百回と塗り重ねた漆を彫る彫漆に注目した『彫漆にみる写実と細密』、それからフランス印象派の後継者を自任した『魂の印象派 木村忠太』だった。

前回この美術館を訪れたときにはじめて讃岐漆芸のことを知り、また観たいと思っていたのだ(→リンク)。今回は、磯井如真が開拓した、漆に点彫りをしては色漆を塗って研ぎ出す「蒟醤」(きんま)の美しいグラデーションを味わうことができなかったのは残念だが、そのかわり、ダイナミックでも細密でもある彫漆のいろいろな作品を観ることができた。

高松藩の漆彫師であり、讃岐漆芸の源流ともみなされる玉楮象谷による「堆朱」(ついしゅ、朱漆を彫ったもの)が1点あった。篳篥を入れるための箱であり、扇のように蓋が開くようになっている。そして花や草がびっちりと彫られており、迫力がある。しかし、1点だけで印象を云々することはできないだろうが、象谷のフォロワーである音丸耕堂や磯井如真の、豪快さ、モダンさ、精緻さなどの多様な側面のほうに、より心が惹かれるものがあった。

音丸耕堂の、堆朱による『昆虫の図』は、硯箱の蓋にトンボ、カタツムリ、キリギリス、カブトムシ、クワガタ、蝶なんかがリアルに掘り込まれている。昆虫の下にある波文は朱漆を25回、昆虫尽くしはさらに100回くらい塗ったあとの工芸だということだ。角度によって色も雰囲気も違う。

磯井如真の作品としては、堆朱や堆黒によるお香の箱がいくつもあった。10センチに満たない大きさの小箱に小さくびっちりと掘り込みがある。トンボだったり、稲穂だったり、筍だったり、茄子だったり、意匠によって浮かぶ気分が違って面白い。

もう1つの部屋で展示されていた木村忠太の作品群は、時期によって大きく変貌していた。1940年代の写実は、香月泰男の『シベリア・シリーズ』を思わせるほどの暗鬱さ。それが次第に光に満ち溢れる作風になっていく。正直言って、渡仏してからの作品はまったく好みでない(日本への手紙で、梅原龍三郎や林武よりも自分のほうが上だ、と書いている。それほど成功していたらしい)。しかし、それよりも前、ボナールに影響されたあとの『食事』などは、室内に注ぐ光が食器も食べ物も子どもたちも渾然と溶かしていて、素晴らしいとおもった。