デイヴィッド・リスによる、文庫本500頁を超える長編『珈琲相場師』(2003年、ハヤカワ文庫)。舞台は17世紀のオランダ・アムステルダムであり、ちょうど先物取引というと引用されるチューリップ・バブルが起きたちょっと後という設定となっている。つまり、先物を含め、金融派生商品のさまざまな方法について模索していたに違いないころだ。この小説でも、新手の神秘的な飲み物として現れてきたコーヒーを使って、市場の操作を行い、大儲けをたくらむ人物が主役である。
コーヒーはといえば、『コーヒーが廻り世界史が廻る』(臼井隆一郎、1992年、中公新書)によれば、この時期はイエメンから他のイスラーム圏に流通させて利益を得ていたオランダ商人が、本格的に輸入するようになった時期にあたる。そしてこの後まもなく、「買って売る」から、「作って売る」にシフトしていく。セイロン(スリランカ)やジャワ(インドネシア)でのプランテーションのはじまりであり、すなわち、土地の支配者、植民地政府、東インド会社、商人という流れの利益構造ができていくわけである。当然不利益は生産者に強いられる。何のことはない、こう書くと、現在の流通構造と本質においては変わっていない。
商品としての利益のあり方が変わり始めるだけでなく、コーヒーがヨーロッパ人たちの体内を循環しはじめるころでもある。この小説でも、コーヒーを充分に買ってくれないトルコ人の夫たちは妻が離婚できるそうだ、とか、コーヒーハウスでケシの抽出液と混ぜて肉体の歓楽を得るらしい、とか、ヨーロッパ人にとってのワインのようなものだ、とか、商人たちがまことしやかにコーヒーの魅力を囁く様子が楽しい。
決してストーリーテリングが上手いとはいえないし、徒に長いが、それらを差し引いても、コーヒーが西側世界を浸蝕する一断面を描いていて、面白い。