Sightsong

自縄自縛日記

オーストラリアのアート(2) キャンベラの国立フィルム・音響アーカイヴ

2008-05-18 23:59:58 | オーストラリア

キャンベラには国立アーカイヴが2つある。ホテルのフロントで嘘を教えられて、行くつもりでなかったのに、この国立フィルム・音響アーカイヴ(National Film & Sound Archive)を訪れた。

映画・映像と音の記録を収集管理している施設であり、常設展示室があった。そんなに広くもないのだが、それぞれのブースで流されている映像を全部観ていたら時間がいくらあっても足りない。それで、いくつか興味深いものを集中して観た。客はほとんど居なかった。


パンフが何種類もあり、ネッド・ケリーの物語(左)やアボリジニの記録(中)など独自性を出している

●『ココダ・フロント・ライン』

第2次世界大戦時、ニューギニアのココダにおけるオーストラリア軍と日本軍との戦闘のドキュ(ダミアン・パラー、1942年)。アカデミー賞を受賞していて、オスカー像も飾ってあった。短いので全編を観た。おそらく当時にしてみれば生々しすぎる最前線の映像であり、日本軍の手ごわさを語っているあたり、情報隠蔽を主としていた日本の様子との違いを感じさせる。オーストラリア軍はニューギニア現地の住民を使っていて、「彼らの皮膚は黒いが、いまや白人だ」と、白豪主義そのもののようなナレーションを挿入していることも、紛れもなく時代的だとおもった。

●ポール・コックス(Paul Cox)の映画

まったく知らなかった映画監督だが、2006年の「Ken G Hall Award」という賞を受けたとかで、過去の監督作のフッテージが経年的に流されていた。何も考えず観ていると、一度沈んだような渋い映像と、思索的であったりエキセントリックであったりする雰囲気に、かなり惹かれるものがあった。

帰国して調べてみると、多作で多様、低コストで撮ることが多く、また製作面にのみ注力されるオーストラリアの映画界にあって異色な、作家性のあるひとらしい。また、本人の好きな映画監督は、ルイス・ブニュエルと、グルジアのセルゲイ・パラジャーノフだという(Philip Tyndall、2000年 → リンク)。

また、日本ではあまり公開されていない。老人の介護を描いた『ある老女の物語(A Woman's Tale)』(1991年)や、老いてから恋愛する『もういちど(Innocence)』(2000年)の評価が高いようだ。実際に、アーカイヴで観たこれらのフッテージは印象的だった。前者は、青い塗り壁の前に登場する老女の姿。後者は、恋愛相手の昔の姿(おそらくスーパー8)を鏡を用いて挿入する切ないシーン。

『Cactus』(1986年)の幻想的な映像は、麻薬としてのサボテンをとりあげたものだろうか。またゴッホを描いた『Vincent』(1987年)は、D.D.ダンカンがコダックのネガカラーで撮った写真集『ひまわり』を思い出させる、まっ黄色なひまわりの鮮やかさだった。

かなり観てみたい。まずはレンタル店で探してみようかとおもう。

○「NY Times」によるフィルモグラフィー(いくつか予告編がある) → リンク
○『ある老女の物語』予告編 → リンク

このアーカイヴには映画館も併設されていて、たとえば5月のプログラムは『黒い罠』、『アメリカの夜』、『アルフィー』、『イタリア旅行』などとてもいい感じ。近くにあったら通ってしまいそうだ。しかし、この日の夜はトビー・フーパーの『悪魔のいけにえ』。高校生のころ友だちにヴィデオを借りて、しばらく思い出しては畏怖していた記憶がある(怖い映画は苦手なのだ)。何で外国に来て、血生臭い映画など観なければならないのかと思い、さっさとホテルで寝た。


オーストラリアのアート(1) パースの西オーストラリア博物館、現代美術館、侯孝賢の新作

2008-05-18 16:38:36 | オーストラリア

オーストラリアに、仕事で1週間あまり行ってきた。「today」=「トゥダイ」はもとより、「may」=「マイ」、「paper」=「パイパー」など、独自の発音に一瞬ためらう。もっとも、昔、英国を初めて訪れたとき、ああ、自分が教わっていたのは米語だったのだと思い知ったときほどのインパクトはなかったが。

カンタス機のなかで、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の新作『Voyage du ballon rouge(赤い風船の旅)』(2007年)を観ることができたのは嬉しかった。深夜便で、ビールを飲んで、英語字幕が霞んでいて、要は少しうとうとしながら観たのだが、確信犯的にゆったりとしたリズム、フィルム内のフィルム(ジュリエット・ビノシュの息子を世話する若いSong Fengとう女性が、赤い風船を巡る映画を撮っている)のもたらす夢のような効果など、とても印象的だった。上映される際にはまた観ようと思う。

○『Voyage du ballon rouge(赤い風船の旅)』の予告編 → リンク

パース、メルボルン、キャンベラ、シドニーと、西から東への強行軍。それでも暇を見つけては、いろいろ覗いてきた。自然や街やライヴ(シンディ・ブラックマンを聴いた)の写真はおいおいアップするとして、美術館・博物館は、こんなところを訪れた。

○パース 西オーストラリア博物館、パース現代美術館(PICA)
○キャンベラ オーストラリア国立美術館、国立フィルム・音響アーカイヴ、オーストラリア国立アーカイヴ、首都計画展示館
○シドニー 現代美術館(MCA)、ニューサウスウェールズ州立美術館
(これだけみると遊びに行っているようだが、もちろん誤解である。)

まず、パースの美術館・博物館を紹介したい。

●西オーストラリア博物館

恐竜やコアラやウォンバットなどの骨格、マングローブ類、数多い珊瑚や海綿や蟹(『美味しんぼ』で紹介されたマッド・クラブもある)など、駆け足では全部を観ることができなかった。それでも、今回西海岸で実際の姿に触れることのできなかったストロマトライトの34.7億年前の化石を観たことが最大の収穫。1980年代に放送されたNHKスペシャル『地球大紀行』で初めてその存在を知ってから、憧れていたのだ。

また、特別展として、西オーストラリアで最も古い歴史を持つというアボリジニ、「Katta Djinoong」の展示が充実していた。19世紀末頃の、樹皮を用いて作られた盾、ブーメラン、投げ棒、皿などや、現代のアボリジナルアート、さらには英国による支配・虐殺の歴史などがテーマ別にまとめられている。

興味深いのは、1960年代ころまで、白人への同化政策として、アボリジニの赤ん坊を白人が引き取って育てるということが行われていたということだ。親から引き離されたことによる精神的な傷がもたらした影響やルーツ探しに関して、ヴィデオで、大人になったその子どもが語っていた。

また、子どもの生活力教育として、「大人が使う道具を小さくしたものを与える」という面白い習慣が紹介されていた。ブーメランも、押し車も、使えるものが小さく作られている。

○会場の雰囲気 → リンク

●パース現代美術館(PRCA)

HATCHED」という、若いアーティストの公募による発表の場のようだ。美術館というか、3階まであるちょっとしたギャラリーという感じだ。西オーストラリア博物館の隣、ユーカリの大きな樹のもとに入口がある。公立の美術館・博物館はだいたい夕方5時には閉まってしまうが、こちらは6時までなので飛び込むことができた。

ちょっとたかを括って言えば、国によらず、若者の現代美術なんて玉石混交であり、ずぶずぶと肥大した自意識と止め処もない暴力的なものにうんざりさせられる。これもそうだ。深みのないコンセプチュアルアート、どこかで見たようなもの、垂れ流し。それでも声を立てて笑ってしまうような良いものがあった。

ダグラス・ハスレム『小さなダンサーと音楽猫』。自分の祖父母をイメージして歯磨きなんかから作られたという、文字通り「tiny」な作品。2作品だけあったが、シリーズになればさぞ楽しいだろう。

ヘイディ・ケンヨン『あなたの考えうる全ては真実だ』。アボカドの葉を切り絵風に刻んで作られた何葉もの作品群で、これも「tiny」な感じだ。ヴァルネラブルというか、フラジャイルというか、物理的な弱さと存在の強さのバランスが気持ちいい。

ミーガン・スプラグ『肩をすくめたアトラス』。ぱっと見にはわからないが、同じ型から作られたこの4,000体ものプラスチック人形は、首も背中も丸めてうずくまって座っている。集団の象徴、1人1人がそれぞれ世界の重みを肩に負っているというコンセプトのようだ。ということは、コレクティヴでありなから個の象徴ということにもなる。おもわず笑ってしまった。こんなうな垂れた体育座りが一杯いると、ちょっと腹がむず痒くなってくる。

会場でアンケートに答えると、クランプラーのバッグが抽選で当るということだった(当然書いた)。そういえば、クランプラーはオーストラリアの自転車乗りが開発したものだった。

○「HATCHED 08」 → リンク