北海道のお土産はやっぱり六花亭の「マルセイバターサンド」。お土産と言いつつ自分でもひとつ食べている。旨い旨すぎる。
沖縄の画家、故・大嶺政敏氏の作品を紹介するウェブサイトが観られなくなっている。なんだろう。
「科学映像館」の配信映画が次第に充実してきている。Youtubeなどより画質が格段に良く、貴重な映像が多い。
最近、『昭和初期 9.5ミリ映画』(東北文化財映像研究所紹介作品)が登録されていた(>> リンク)。9.5ミリ映画とは、小型映画のなかでも、スーパー8やシングル8、さらにダブル8よりもさらに古い形式のフィルムフォーマットだ。私はスーパー8を敢えて現在使っているし、ダブル8についてもかろうじて使えることは知っている(何しろダブル8は、16ミリを往復して左右を仲良く使い、現像時に裁断するものであるから)。しかし、9.5ミリとなると、いかな変人であろうと今使うことは無理なのではなかろうか。その意味で、このような映像を誰でも観ることができる価値は高い。
映像は農作業の様子からはじまる。どうも水路を造成するため、皆で土を盛ったり石を積んだりしているようだ。土を運ぶための背負う器具が面白くて、盛るべき場所に着いたら底板を外して土を落とすつくりになっている。(『大脱走』を思い出した。)
トタン屋根を作る大工仕事の映像では、鉋掛けの様子が凄い。何しろ鉋などしばらく使っていないし、自分はとても苦手だった。いまでも鰹節を削るのは苦手だ。それが、見事に削り屑がふわふわと積みあがっていく。
岩手県・陸前高田駅の開通の様子というのもある。Wikipediaで調べてみると、どうも一日平均乗車人員が2000年・433人から2007年・260人と、かなりの勢いで減っている。ここにはまだ、開業翌年の1934年に建てられた木造の駅舎が残っているようだ。当然、開業時点の映像にはこの駅舎は映されていないが、俄然行ってみたくなる。
それにしても、映される人たちの表情を見ていると嬉しくなる。子どもたちも大きめのぼてぼてした服を着て、連続的に見られることなど全くなかったであろうときの顔といったら。
おそらく、この頃に小型映画を撮ることができたアマチュアは、ライカなどと同様、限られた富裕層であったに違いない。この映像は、日本におけるパテー協会というような建前で撮られている。
そのパテーについては、他の小型映画メーカーと同様に、ユルゲン・ロッサウ『Movie Cameras』(atoll Medien、2000年)に詳しい。チャールズ・パテーは1869年に生まれ、エジソンが発明したフォノグラフ(蝋菅再生機)を転売したり、映画事業に乗り出そうとして技術的に失敗したりしていた。それが1921年になって、9.5ミリフィルムを世に出し、プロジェクターとともに販売して大成功した。この9.5ミリフォーマットを使うカメラは、ボリュー、ボレックス、ニッツォを含め、多くのメーカーが作ったという(さっきまで、パテーしかないのかとおもっていた!)。しかし1927年には、ジョージ・イーストマンが過半数の株式を保有するようになり、チャールズは会社を手放さざるを得なくなる。
パテーの9.5ミリフィルムは面白い特徴を持つ。なんと、フィルムのパーフォレーション(送り穴)がコマ間の真ん中にある。多分、カメラやプロジェクターのアパチャー前後に送り爪があったのだろうと想像するが、当時の精度では、コマに掻き傷がどんどんついていったのではないかと心配してしまう。それだけではなく、フィルムの横に「ノッチ」が付いている箇所には、タイトル画面があることを示しており、そこでプロジェクターがフィルムを送るのを止めていたということだ。(また再開するときにはどうしたのだろう?)
パテーは映画事業の最後、1978年には、スーパー8のサウンドカメラを開発し、日本のナルコムから出していたようだ。ボレックス後期のスーパー8カメラがチノン(ああ、そういえばここもコダック子会社になっている!)によりOEM生産されたことは知っていたが、逆のパターンはさっきまで知らなかった。かと言って、探し出してまで使おうという気にはなれない。
9.5ミリフィルムの仕組み ユルゲン・ロッサウ『Movie Cameras』(atoll Medien、2000年)より
●参考(科学映像館の配信映像の一部)
○『科学の眼 ニコン』
○『沖縄久高島のイザイホー(第一部、第二部)』