「沖縄戦首都圏の会」第7回連続講座として開催された、小森陽一さん(東大教授・9条の会事務局長・子どもと教科書全国ネット21代表委員)による「沖縄戦・基地・9条」に参加してきた(2008/7/25、文京区民センター)。
時期のせいか、参加者は30人くらいと少な目だった。
以下概要。
●柴田健さん(沖縄平和ネットワーク、沖縄戦首都圏の会呼びかけ人)
○教科書協会の後ろ向きな動き(※検定をさらに非公開化することか)に怒りを感じている。
○「大江・岩波沖縄戦裁判」は、9月9日に次回の高裁法廷が行われる。早ければ次回で結審される。署名を集めて欲しい。
●小森陽一さん(東大教授・9条の会事務局長・子どもと教科書全国ネット21代表委員)
○専門は文学であるから、きょうは文学者として話をする。
○先日の地裁判決をどのように受け止めるか、どのような言語で表現するかという点については、4・24集会(豊島公会堂)での小牧薫さんの報告において、4つのポイントとして挙げられている。
○体験者の証言により、「事実」が「真実」として認められる条件がきり開かれた。このような証言は、謝花直美『証言 沖縄「集団自決」―――慶良間諸島で何が起きたか』(岩波新書、2008年)にもある。
○証言は、記憶を蘇らせ、言葉に直すという二重の作業を経て生まれている。記憶は知覚・感覚的なものであり(体験)、言語化(経験)に向けて大きな距離がある。体験と経験とを分けて表現するのが日本語の特徴であり、英語では単なる「experience」だ。極端な場合、受け止め切れない体験は忘却されるが、知覚・感覚的な記憶として残っており、覚醒時にはわからないが半覚醒時にフラッシュバックが起き、パニック状態に陥ることがある。
○言葉にするということは、起承転結の物語にするということだ。そして証言とは、物語の枠の中に収めることを意味する。
○子どもたちは、発育上のある時期から、(たとえば悪さや排泄という、これまで許容されていたはずの結果に対して急に責められるようになるため、)「なぜ?」という原因を問い始める。「なぜ?」は斯様に物語(原因・結果の集合)に対する欲望である。この欲望への対応が教育だと言うことができる。
○一方、子供たちは民話・神話のようないつも変わらないお話を望む。いつ聴いても変わらないお話ということが重要であり、それが突然許されなくなるという恐怖がある。
○さて、記憶の想起から証言を行い、それらをどのような物語に当てはめるか、それが今回の裁判で争われている。いままで語られてきた物語に対し、「軍の命令はなかった」という今までと違う物語が介入し、それに対する反発があったということができる。
○変わらない物語に対し「なぜ?」を問うことは、根源的に存在する暴力の問題に行き着く。ヴァルター・ベンヤミンは、この暴力と制度との問題を『暴力批判論』において論じた。
○いわゆる「集団自決」の体験者・証言者である金城重明さんは、自らの家族に手をかけたことについて、「なぜ?」という問いかけをやめなかった。どのように証言にするかの過程において暴力の構造を見極めていき、どんな力が家族を殺すのに働いたか、軍の存在はどのような役割を果たしたのか、「なぜ?」と問うことのできなかった力は何だったのかを明らかにしていった。
○新たな「物語」をつくろうとした文科省に対して、金城証言をはじめ、多くの記憶をもとに語られた証言が体系化されていった。
○どのような言葉で語られて社会化するかは微細なことであるが、それゆえ繊細なものだ。社会化された記憶は集合的無意識になり、言葉だけでわかったような気になり、真実には考えが及ばなくなる。
○いわゆる「集団自決」という言葉は、日本軍による住民の集団虐殺という実情を表現していないという問題がある。大江健三郎はそれに対して「集団自殺」ということばを使い、この国に「美しい殉国死」という概念を導入しようとするみえみえの狙い(「国民感情の公然たる染め替えの策動」、『世界』08/6における大江論文)に抗しようとしている。大江健三郎は、2003年の「有事法体制」に関し、その意味するところに気付くことなく無邪気でいたと後悔している。
○もともと「55年体制」は、朝鮮戦争などを直接のきっかけに、米国にとっての「反共の砦」たるために、戦前の戦犯を含めた人材が国民のいのちと財産を売り渡して生き延びた結果としてある。
○しかし、3分の2の議席を取ることはできず、憲法9条を変えることはできなかった。しかし、93年まで単独政権を維持し、憲法解釈を続けてきた。これが別の意味での「戦後レジーム」であった。
○1993年細川政権誕生の立役者は、小沢一郎であった。その前は、湾岸戦争時、海部政権の幹事長であった。
○ここから、専守防衛という自民党単独政権の「物語」が変貌していく。政権交代はそれと無関係ではない。党が変われば、それまでの物語を継続しなくてすむ。
○1991年、湾岸戦争の「砂漠の嵐作戦」において、日本は国民1人約1万円もの軍事費を拠出したにも関わらず、直接派兵しなかったという理由で米国に責められた。実はこのとき、世界が「憲法9条」の存在を広く認知した。そしてそれが、現在の「9条世界会議」の成功に底流としてつながっている。
○このころ、日本のマスメディアの体制が変わってきたことに注意すべきだ。少なくとも不偏不党であり、その結果、護憲が大勢であった。しかし91-92年頃、「憲法9条」と「国際貢献」とがあたかも対立概念のように語られるようになった。いま、学生にその「国際貢献」の意味を訊くと、最初はODA的なものとして幻想を抱いているが、いずれ派兵に他ならないと気が付く。この、ことばの独り歩きこそが社会的な集合意識であり、それを明らかにできるかどうかが私たちに問われている言語能力だ。
○生き残った者たちが「なぜ?」を放棄するためには、「美しい殉国死」という物語が便利となる。そしてこれが、現在の「国際貢献」に密接に関連し、また、歴史の修正にも関連している。
○沖縄戦に関する検定は、なぜ、いわゆる「集団自決」が起こったのかという点において、主語を取り去り、主語と述語の関係を崩すものであり、言語に対する冒涜である。生徒に思考停止を促すもので、教育に反するものだ。そしてこれは、死んでいった人達に対する、生き残った人達の倫理性の問題でもある。
○今後、憲法9条、25条(生存権)、26条(教育を受ける権利)を関係づけていく行動が必要とされる。
○世論調査では、憲法改正に関して、反対する意見が次第に増えてきている。これは9条に関する草の根的な運動が世論を動かしてきていると言うことができる。
●質問1:思考停止しなければ学校にはいられないのではないか。
○理不尽社会に言葉の力を如何に用いていくか。
○思考停止に関しては、教師ひとりひとりが分断された状況では対策が難しい。地域という草の根での取り組みが効果的。たとえば、小学校区単位で9条の会をつくり、思考する力を地域にとりもどすことを考えている。(モンスターペアレントなどの問題は、どこかで履き違えた神話に起因し、思考停止し、感情だけを昂らせる状態になっている。)
○実際に、みんなで思考する地域への変貌をいくつもみている。
○たとえば青森の新和(にいな)では、りんご農家の方々が、唯一自分のための時間として、抹茶をたてながらお話をしていた。そこでたまたま9条の会に出会った。お互いに昔話をしているうちに、当時の軍の問題がなんとなくわかってきて、地域全体の隠蔽された記憶が明らかになってきた。人間関係も復活してきた。
○草の根運動はひとつひとつは小さいが、全体として大きな基盤をつくるものだ。
●質問2:小選挙区においては、政策というより、たとえば与党以外ということで代表的な野党である民主党に入れてしまうなどの行動を促すところがある。これに対してはどうか。
○小選挙区こそが93年レジームであり、米国の要請する共同行動を行えるための政界再編を可能とするものだった。
○しかし、大連立はさすがに世論が許さなかった。
○朝日新聞の議員に対する調査によれば、議員の過半数が護憲を志向している。これも草の根の力である。世論に沿わないと議員ではいられないのだから。
○これをもっと進め、地域の代表としての議員、というあり方が望ましい。そうすれば、地域における草の根の動きを選挙結果に反映できる。
○何の党を立てるか、ではなく、議員に何を確約させるか、が重要になる。
●寺川さん(「沖縄戦首都圏の会」事務局長)
○6月25日に高裁がスタートした。こちらがわの署名は約13,700筆が集まった。
○原告側は弁護士が手を引いたり、控訴理由書に不備が多かったりという状況。むしろ裁判官がよく目を通しているという印象がある。
○9月9日に第2回の口頭弁論があり、高裁は8月までに全部資料を出させる方針。そうすると、結審は早そうであり、年内に判決が下される可能性もある。
○次回高裁の報告は、9月26日を予定している。
●俵さん(「子どもと教科書全国ネット21」事務局長)
○憲法9条、25条、26条の理念を、教育現場に取り入れたい。
○前政権時の教育基本法改悪、史上最悪というべき新学習指導要領などひどい状況にある。
○イラクでの活動を違憲だとした名古屋高裁の判決は、憲法9条と25条とを結びつけたものだ。
○家永教科書裁判の第2次訴訟における「杉本判決」は、教育は子ども自らの要求する権利として、25条と26条を結びつけた。