Sightsong

自縄自縛日記

『情況』のハーヴェイ特集

2008-07-19 21:40:56 | 政治

『情況』(2008年7月号、情況出版)が、「ハーヴェイをどう読むか」という特集を組んでいる。2008年1/2月号の「新自由主義」に続くものである。

吉原直樹『ハーヴェイをどう読むか』では、これまでのハーヴェイの著作を辿っている。それによれば、地理学から出発したハーヴェイは、立地の適切性から都市空間が決定されるのではなく、地代こそが利用を決定すると説く。支配秩序、あるいは社会的不平等がはなから資本構造の原点となっているということであり、時間・空間の障壁が時とともに低くなるにつれ、意図的な<場所の差異>が、資本をひきつけるためのフェティシズムと化すということになる。

都市空間=資本の集合体、の変貌振りに資本主義のありようを重ねあわせるという意味では、たとえば、地域の崩壊というものを、<結果的な立地>としてだけではない<場所>からも見なければならないということだろうか。

これを、資本の蓄積と、その体制をフルに用いた略奪・利益の偏在を説いた、ハーヴェイの『新自由主義』における主張とを、どう階層的に考えればよいのだろう。ただ、グローバル市場(扱うものがエネルギーであれ食品であれCO2であれ人であれ)のことを考えていく際に、この<結果としての陰謀論>を除外してはならないということは、どうも確かだとおもえる。

本橋哲也『「新たな帝国主義」の終わりの始まり』は、ハーヴェイ『ニュー・インペリアリズム』(2005年)を明快に解題している。「あからさまな領土の地理的支配の代わりに、世界中どこの地域においても自由市場と私有財産の守護者として」ふるまってきた米国が、自国の資本蓄積と消費拡大を如何に進展させたか、という論点である。

自国領土というバウンダリ内だけでは、資本蓄積の継続はいずれ頭打ちになるから、それを回避するために米国が採ってきた手段が、70年代位までは脱植民地化にともなう他国での開発主義、2000年位まではIMFなど金融資本によるヘゲモニー獲得、産業拠点の海外への移転と低コスト性による利益の吸い上げ、といった流れで説明されている。まさに後者の、悪質な金融業者そのもののような米国のふるまいに対し、中南米諸国が抗しつつあるいま、これまでの<資本蓄積装置の裾野拡大>に限界が出てきている、という点においては納得できる。

ではいまどうなのか、ということになると、ネオリベを補完するものとしてのネオコン、といった見方も気になる(日本でもそうだろうから)。それよりも、ここにはハーヴェイの著作同様に指摘がないが、環境対策において<資本主義のモーター>が変にまわってしまわないかということを、どうしても考えてしまう。

榎原均『新しい政治の探求』においては、ジャック・ランシエールの論考を紹介している。ここでは、現代の民主主義を「ポスト民主主義」と名づけ、コンセンサスに基づくシミュレーショニズムと位置づけている。シミュレーションは常になされているのだから、たとえば、異なる主体間の衝突による<現実の到来>などは既にシナリオのひとつとして先取りされているということになる。

このシミュレーション空間=世界では、緩衝材としての社会は存在せず、全ての主体が<自己責任>を持つようなものとなる。これこそが、ハーヴェイが『新自由主義』においても説いていたことであり、社会的つながりの切捨て、弱者の切捨て、福祉の切捨て、一部の主体のみの利益、といった特徴に容易に結びつくだろうとおもえる。そして、シミュレーション社会におけるメディアはシミュラークルの集合体であり、<メディア=私>という側面から言えば、すでに到来した将来を、各個人が<ミニ為政者>となって語ること自体がシミュレーション社会を形作っている、というようにもおもえる。

それぞれ異なる特質を<マイノリティ>だと言い換えれば、次の指摘も示唆的である。シミュレーション=メディア=政治空間=社会空間、というように還元されていき、それぞれ異なる主体が、新自由主義における商品価値判断の対象だということになるからだ。

メディアに載ること、あるいはメディアに載せてもらえること、それによってマイノリティが解放されるということは一つのシミュレーションです。しかし、それが解放の政治の原理とされてしまうような状況、これはつまりはメディア自体が一つの市場であり、そこに登場する人物は商品として流通させられているということに他ならないのですが、そこに政治的解放を見出すような自体が進行しているのです。メディアに載るということ自体が「現実的なものの喪失」であり、ある種の抽象化であって、アイデンティティも単なる商品の差異と見なされるようになるのですが、ランシエールはこのような事態そのものの政治性の解明に迫っていきます。」(126頁)

もうひとつの特集「沖縄五・一八シンポジウム 沖縄の独立は三年くらいあれば可能だ」については、すでに24wackyさんが報じている(>>リンク)ので、あわせて読んでいこうと思っている。

●参考
『情況』の新自由主義特集
デヴィッド・ハーヴェイ『新自由主義』


備忘録

2008-07-19 08:13:45 | もろもろ

土曜の朝、家族がでかけてしまったので、録画しておいた『汚れた英雄』(角川春樹、1982年)をだらだらと観た。天才レーサー・草刈正雄のジゴロぶりが真底しょうもない。『復活の日』(深作欣二、1980年)といい、草刈正雄といえば脱力映画という印象になってしまった。

●生物多様性日本一のサンゴ礁と干潟を埋め殺すな! 沖縄泡瀬干潟写真展(小橋川共男写真展) @柴田悦子画廊 7/20-27 >>リンク >>感想

●「沖縄戦首都圏の会」連続講座第7回 小森陽一さん「沖縄戦・基地・9条」 @文京区民センター 7/25 18:30- >>リンク >>報告

●「けーし風」読者の集い @神保町区民館 7/26 14:00-
特集は「オキナワの18歳」。 >>本誌の感想 >>「集い」の感想

●青春のロシア・アヴァンギャルド @ザ・ミュージアム 6/21-8/17 >>リンク >>感想
亀山郁夫『ロシア・アヴァンギャルド』(岩波新書、1996年)を読んでから気になる存在だったフィローノフの作品も含まれている。

●野本大 『バックドロップ・クルディスタン』 @ポレポレ東中野 7/5- >>リンク >>ボケッとしている間に終了してしまった(笑)
シヴァン・ペルウェルの音楽を使っていて、クルドの踊りの映像が観られそう。

●藤本幸久 『Marines Go Home - 辺野古・梅香里・矢臼別』 @ポレポレ東中野 7/26- >>リンク
沖縄、北海道、韓国をリンクする試み。

●ボリビア映画上映会 @スペイン国営セルバンテス文化センター 8/1-9 >>リンク >>感想① >>感想②
ウカマウ集団の映画を観る機会。

●北井一夫 『境川の人々』 @どんぐりころころ(浦安フラワー通り) 8/3-10 >>リンク >>感想
ズミルックスによる20年前の浦安、オリジナルプリントで観ることができる数少ない機会。

●北井一夫 『いつか見た風景』 @ギャラリー蒼穹舎 8/4-17 >>リンク

●ニキータ・ミハルコフ 『12人の怒れる男』 8/23- >>リンク
『黒い瞳』が好きなミハルコフによるリメイク。裁かれる対象がチェチェンの少年という設定になっている。

●フランシス・フォード・コッポラ 『コッポラの胡蝶の夢』 8/30- >>リンク
原作がミルチャ・エリアーデ『Youth without youth』。コッポラも久しぶりの新作。最悪な邦題のためにコケるのが心配。

●『特別展スリランカ 輝く島の美に出会う』 @東京国立博物館表慶館 9/7-11/30 >>リンク
アヌラーダプラ時代以降の仏像・神像がまとめて展示される。

●ICPオーケストラ @西麻布スーパーデラックス 9/15, 16 など >>リンク
再来日。トーマス・ヘベラーなどメンバー個別のセッションもあるようだ。ミシャ・メンゲルベルグやトリスタン・ホンジンガーをオケ以外でも観たい。