豊里友行『彫刻家 金城実の世界』(沖縄書房、2010年)は、文字通り、金城実の作品や本人の姿を捉えた写真集である。もともとは、沖縄の写真誌『LP』(#9、2009年)でその一部を紹介しており、彫刻=生き物を作り上げていく氏の指先と一体化したマチエールに強い印象を持ったのだった。
表紙は読谷村・残波岬にある残波大獅子、足元に金城実と山内徳信・参議院議員(元・読谷村長)が座っている。その山内議員と、秘書を務めていたこともある服部良一・衆議院議員が、文章を寄稿している。両氏の人間性が沁み出てくるような語り口だと思う。写真も同様にケレン味がない。殊更にハイコントラストにしておらずトーンが出ており、場合によってはフラッシュを使っている。焼き込みは空が画面の多くを占めるときくらいだろうか。
空と書いたが、これが本写真群の特徴のひとつである。つまり、「金城実作品集」ではないのだ。野外に置かれた彫刻は陽に焼かれ、さまざまな表情を見せる。また、作品の一部を切り取り、その意味やドラマ性を大きなものにしている。絞りをかなり開けて、彫刻の顔の一部にのみ焦点を合わせ、背後の彫刻家を後ボケの中に溶かしこんでいる。これは恐らく、ある芸術作品群の記録としてはオーソドックスとはとても言い難いものであり、むしろ作品群に新たなイノチを吹き込む試みである。そして、金城実作品にはそのようなアプローチが相応しいように思われてくる。
例えば仏像写真で言えば、土門拳の作品に象徴されるように、絞りまくって全てのディテールが焼き込まれるのが王道である。それに対し、浅井慎平は『巴里の仏像』(2007年)において、撮影条件を逆手に取り、絞りを開き、まるで仏像たちのスナップ写真を撮るかのように迫っていった。私の言いたいことはそんなことで、要は、異色であり、良い写真群だということだ。
昨夜、TBSの『報道の魂』という枠で、『ちゃーすが!? 沖縄』という金城実を追ったドキュメンタリーが放送された(>> リンク)。深夜に一度観て、朝改めて観た。TBSだからなのか、親方日の丸のNHKなどとは違い、思いがぶつけられた番組となっていた。特に、金城実が日米地位協定の改正にこだわっていること、菅首相が「沖縄に感謝」などと発言したことに対し「足を踏んでおいて、人を殴っておいて、有難うとは、言葉になっていない」と怒りを露わにしていたこと、知花昌一・読谷村議会議員が「今回は、1879年の薩摩侵攻、1945年の敗戦に伴う扱い、1972年の施政権返還に続く第4の琉球処分だ」と発言していたことが印象的だった。
●参照
○金城実『沖縄を彫る』
○『LP』の「写真家 平敷兼七 追悼」特集
○「官邸前意思表示~『県外移設』の不履行は絶対に認めない!」Ust中継
○『ゆんたんざ沖縄』
○坂手洋二『海の沸点/沖縄ミルクプラントの最后/ピカドン・キジムナー』