Sightsong

自縄自縛日記

豊里友行『彫刻家 金城実の世界』、『ちゃーすが!? 沖縄』

2010-07-19 22:38:21 | 沖縄

豊里友行『彫刻家 金城実の世界』(沖縄書房、2010年)は、文字通り、金城実の作品や本人の姿を捉えた写真集である。もともとは、沖縄の写真誌『LP』(#9、2009年)でその一部を紹介しており、彫刻=生き物を作り上げていく氏の指先と一体化したマチエールに強い印象を持ったのだった。

表紙は読谷村・残波岬にある残波大獅子、足元に金城実と山内徳信・参議院議員(元・読谷村長)が座っている。その山内議員と、秘書を務めていたこともある服部良一・衆議院議員が、文章を寄稿している。両氏の人間性が沁み出てくるような語り口だと思う。写真も同様にケレン味がない。殊更にハイコントラストにしておらずトーンが出ており、場合によってはフラッシュを使っている。焼き込みは空が画面の多くを占めるときくらいだろうか。

空と書いたが、これが本写真群の特徴のひとつである。つまり、「金城実作品集」ではないのだ。野外に置かれた彫刻は陽に焼かれ、さまざまな表情を見せる。また、作品の一部を切り取り、その意味やドラマ性を大きなものにしている。絞りをかなり開けて、彫刻の顔の一部にのみ焦点を合わせ、背後の彫刻家を後ボケの中に溶かしこんでいる。これは恐らく、ある芸術作品群の記録としてはオーソドックスとはとても言い難いものであり、むしろ作品群に新たなイノチを吹き込む試みである。そして、金城実作品にはそのようなアプローチが相応しいように思われてくる。

例えば仏像写真で言えば、土門拳の作品に象徴されるように、絞りまくって全てのディテールが焼き込まれるのが王道である。それに対し、浅井慎平は『巴里の仏像』(2007年)において、撮影条件を逆手に取り、絞りを開き、まるで仏像たちのスナップ写真を撮るかのように迫っていった。私の言いたいことはそんなことで、要は、異色であり、良い写真群だということだ。

昨夜、TBSの『報道の魂』という枠で、『ちゃーすが!? 沖縄』という金城実を追ったドキュメンタリーが放送された(>> リンク)。深夜に一度観て、朝改めて観た。TBSだからなのか、親方日の丸のNHKなどとは違い、思いがぶつけられた番組となっていた。特に、金城実が日米地位協定の改正にこだわっていること、菅首相が「沖縄に感謝」などと発言したことに対し「足を踏んでおいて、人を殴っておいて、有難うとは、言葉になっていない」と怒りを露わにしていたこと、知花昌一・読谷村議会議員が「今回は、1879年の薩摩侵攻、1945年の敗戦に伴う扱い、1972年の施政権返還に続く第4の琉球処分だ」と発言していたことが印象的だった。

●参照
金城実『沖縄を彫る』
『LP』の「写真家 平敷兼七 追悼」特集
「官邸前意思表示~『県外移設』の不履行は絶対に認めない!」Ust中継
『ゆんたんざ沖縄』
坂手洋二『海の沸点/沖縄ミルクプラントの最后/ピカドン・キジムナー』


張芸謀『LOVERS』

2010-07-19 21:12:34 | 中国・台湾

張芸謀『LOVERS』(原題:十面埋伏、2004年)を観る。15元(190円位)だった。

張芸謀の作品としては、この前作『HERO』(2002年)と同様に、ワイヤーアクションやCGをふんだんに使った武侠映画である。唐王朝期、反乱組織と官吏との争いを描いている。しかし、絢爛豪華なワダエミの衣装もあり、時代性は希薄だ。

この特殊効果の出来は素晴らしく、特に竹林の対決シーンには目を見張るものがある。チャン・ツィイー、アンディ・ラウ、金城武それぞれの見せ場も満載。

面白いとは言え、こんなエキセントリックな映画に張芸謀の作家性を見いだすのは難しい。『HERO』(2002年)、『LOVERS』(2004年)、それから陳凱歌『PROMISE/無極』(2005年)と、巨匠が揃って派手なワイヤーアクションにトチ狂ってしまった数年間、とでも言えるだろうか。その後、張芸謀と陳凱歌はそれぞれ『単騎、千里を走る。』(2006年)、『花の生涯~梅蘭芳~』(2008年)というオーソドックスな傑作に回帰している(しかし、張芸謀はまた『王妃の紋章』という武侠アクションを撮った)。それでは、『レッドクリフ』連作(2008、09年)を撮ったジョン・ウーはどこに向かうのだろう。

●参照
張芸謀『単騎、千里を走る。』
北京五輪開会式(張芸謀+蔡國強)
陳凱歌『人生は琴の弦のように』、『さらば、わが愛/覇王別姫』、『PROMISE/無極』
陳凱歌『花の生涯 梅蘭芳』
ジョン・ウー『レッドクリフ』


与論島のドキュメンタリー 『与論島の十五夜祭』、『とうとがなし ばあちゃん』

2010-07-19 01:04:06 | 沖縄

NHKで『とうとがなし ばあちゃん~与論島 死者を弔う洗骨儀礼~』というドキュメンタリーを観る(>> リンク)。与論島には、死者を土葬したあとの3~5年後に掘り返し、丁寧に洗って骨壷に入れて埋葬する習慣がある。かつては風葬がなされていたが、明治政府により禁止され、土葬に変遷したのだという。

この儀礼を前に、愛知や東京に散った一族が集まり、酒肴を前に意気込みを述べる。そして、骨を掘り出し、洗うときの使者を慈しむような様子には見入ってしまった。赤瀬川原平『島の時間―九州・沖縄 謎の始まり』(平凡社ライブラリー)にも、沖縄において、やはり土葬してから7年目に掘り返して洗う習慣のことが紹介されていた。とは言え、今では貴重な記録だと思うがどうか。

高揚した気分のまま、科学映像館のサイトで『与論島の十五夜祭』(1980年)を観る(>> リンク)。

旧暦8月15日を祀る習慣は、宮崎、熊本、鹿児島あたりの南九州から琉球弧まで共通し、それぞれ異なる祭があるようだ。30年前の記録映像であり、現在5,600人の人口は当時7,200人。Youtubeで十五夜祭を検索すると、現在も行われている様子をいくつか観ることができた。

映画の解説によると、城(グスク)や安里といった沖縄やんばるが見える地域にある地主神社(トコヌシ)で行われている。一番組は赤い鼻と赤い頬の白い面を付け、笠を被り、白装束で狂言をとり行う。一方、二番組は布で顔を隠し、黒装束で舞う。この2組が交互に踊る。

最初は両組による雨乞いの踊り「雨たぼれ(アミタボレ)」。次に二番組、棒を使う「一度いふて」。一番組、「三番囃子(サンバスウ)(末広がり)」。中腰で片足を上げては奇妙な掛け合い、ぼろ傘の受け渡しが面白い。二番組、「この庭」。一番組、「二十四孝(ニジュウシコウ)」。これは孝行試しであり、長者が息子たちに赤子を殺し、乳を自分にくれるよう頼む。それに対し、末の息子のみが妻と相談して赤子を殺すことにし、クワを持って穴を掘る踊りをする。そこからは、二包みの金と銀の宝が出る。二番組、「今日のふくらしゃや」。一番組、「大熊川」。二番組、「坂本」。一番組、「長刀(牛若弁慶)」。次第に暗くなり、「獅子舞」、「綱引き」、そして「六十節」でのカチャーシーになだれ込む。

牛若弁慶や日の丸の扇子などヤマトゥの伝説が織り込まれているのがわかる。その一方、三線の音は奄美の叩きつけるような荒々しいものよりは沖縄のそれに近いように感じられる。グスクやアサドといった地名もそのままだ。ただ、太鼓も叩くが、金属の銅鑼を叩いて割れた音を出す局面もあり、これは沖縄ではどうだろう。勿論、薩摩の侵攻まで琉球王国の一部だったわけであり、共通点をことさらに見出すこともないだろう。国頭村北端の辺戸岬からは与論島を眺めることができるほど近い。

いつか与論島を訪れてみたいものだと思い続けてはいるが、沖縄本島とつなぐフェリーでは時間がかかってしまうため、まだ果たせないでいる。那覇から本部まで乗ったことがあるマリックスラインでは、例えば本部を朝9時過ぎに出て昼前に与論着。帰りは昼2時に与論発、夕方4時過ぎに本部着。その気になればいいだけなんだけど。

●参照
高田渡『よろん小唄(十九の春)・ラッパ節』

●科学映像館のおすすめ映像
『沖縄久高島のイザイホー(第一部、第二部)』(1978年の最後のイザイホー)
『科学の眼 ニコン』(坩堝法によるレンズ製造、ウルトラマイクロニッコール)
『昭和初期 9.5ミリ映画』(8ミリ以前の小型映画)
『石垣島川平のマユンガナシ』、『ビール誕生』
ザーラ・イマーエワ『子どもの物語にあらず』(チェチェン)
『たたら吹き』、『鋳物の技術―キュポラ熔解―』(製鉄)
熱帯林の映像(着生植物やマングローブなど)
川本博康『東京のカワウ 不忍池のコロニー』(カワウ)
『花ひらく日本万国博』(大阪万博)
アカテガニの生態を描いた短編『カニの誕生』
『かえるの話』(ヒキガエル、アカガエル、モリアオガエル)
『アリの世界』と『地蜂』
『潮だまりの生物』(岩礁の観察)
『上海の雲の上へ』(上海環球金融中心のエレベーター)
川本博康『今こそ自由を!金大中氏らを救おう』(金大中事件、光州事件)