ジョナス・メカスは映画作家としても、詩人としても、もっとも敬愛する人物のひとりだ。『リトアニアへの旅の追憶』(1972年)という奇跡的な映画を1996年に六本木シネ・ヴィヴァンで観たことが、確実に自分の中の何かを変えた。『I Had Nowhere to Go』(1991年)も、もう何年も前に読んだ本だが、また読みたくなって通勤電車の中で開いている。
少年時代から、ナチスドイツによる虜囚、難民となっての米国への移住、1950年代までの手記である。500頁近くの分厚い本であるから、通勤電車の中ではなかなか読み進めることができない。今のところ、終戦後数年間が経ったものの、メカスはまだ弟のアドルファス・メカスとともにドイツにいる。
なぜ捕虜となったかについては、『リトアニア・・・』でも語られている。抵抗運動を続けていたメカスには、ドイツもロシアも目を付けていた。ある日、納屋に置いていたタイプライターが泥棒に盗まれる。そこから足が付く危険がある。メカス兄弟はウィーン行きの電車に乗る。しかし、それは収容所行きの電車となった。そして、空腹で、退屈で、不潔で、自由のない生活が始まる。
メカスの自由への願いは切実で、痛々しく、かつユーモラスだ。狭いタコ部屋に同居する奴らがやかましいと常に怒っているのだが(ボッシュの描く怪物に例えたりしている)、その一方、自由が得られたときには周囲の迷惑を顧みず大声で歌ってみたりする。駄目だと禁止されても、自転車や電車で無理に遠出し、犬のように疲れてしまう(このあたり、収容所生活の感覚がよくわからない)。
収容所から大学にも通うが、何も残らない。空腹に耐えかねて、大量の本やタイプライターや服を売り払う。メカスは空っぽになってしまったらしい。そんな中、後年同名の映画を撮ることになる、ヘンリー・ソロー『ウォールデン』を読んだり、リトアニア人たちを集めて機関誌を発行し始めたりもする。この苦しくも楽しそうでもある時期に、メカス再生のプロセスを見る思いだ。
メカスらしく、無意味に、手記の一部をピックアップして適当に訳してみる。
「アドルファスは芋の皮をむく。レオと僕はそのまま食べる―――なぜ良い物を捨てるのか。それに早いし、手間が要らない。僕たちは料理と家事でたくさんの新しいことを学んだ。食べ物は原始的に眺めること、ちょうど子どもたちがしているように。僕たちは、芋を熱い灰の中に入れて焼いたものだった。それをズボンでちょっと拭いて、全部、灰ごと食べた。ああ、そんなふうに食べたら旨かった。特に、濡れた枝から冷たい秋の雨が首筋に垂れてくるようなとき、風が吹いてハンノキが曲がってしまうようなときには。
しばらくして・・・違う生活があって、年月が過ぎて・・・僕は、焼き芋のことを忘れてしまった。綺麗に皮をむかれて適度に茹でられ、牛乳やバターと一緒に出されるものだった・・・。
いま僕たちは、ぼろベッドの端っこに座り、テーブルの上にある5個の茹でた芋を見ている。塩に付け、皮ごと全部食べてしまう。もしかけらでも床に落ちていれば拾って、埃を吹き飛ばして、むさぼり食う。
それから僕らは、汚れ、埃、大地、床、内部、外部の意味について論じ合う。
子どもは何でも口に入れてしまうが、僕たちはパンの一かけでさえ、床に落ちた途端に食べたくなくなるんだ。」
●参照
○ジョナス・メカス(1) 『歩みつつ垣間見た美しい時の数々』
○ジョナス・メカス(2) 『ウォルデン』と『サーカス・ノート』、書肆吉成の『アフンルパル通信』