Sightsong

自縄自縛日記

谷津干潟

2010-07-31 11:58:04 | 環境・自然

近いのに行ったことのなかった谷津干潟を、はじめて訪れた。津田沼駅からバスでほんの少しで着く。暑くてたまらないので、谷津干潟自然観察センターに急いで入る。中にはフィールドスコープや双眼鏡、鳥のおもちゃなどもあり、子どもたちは喜ぶ。しかし本物に触れる親水性という点では物足りない。

谷津干潟は周囲が埋め立てられており、長方形の穴ぼこ型の干潟として残されている。勿論水路を通じて海とつながっているため、海水が干満を繰り返し、干潟が形成されている。「どろんこサブウ」こと森田三郎氏らの努力により貴重な生態系として維持されているとは言え、ここが東京湾唯一のラムサール条約登録湿地であることは、管理のしやすさという側面のあらわれだ。少し皮肉なことである。

センターからは、杭の上にとまるカワウカルガモの親子、子育て中のセイタカシギダイサギなどを観察することができた。水際には何かの稚魚も見えた。アシが繁茂しているのは気持ちが良い。なお、関西ではヨシと言うことが多いが、これは「悪し」を忌避して「良し」と言い換えたものだ。

そういえば、千葉ロッテマリーンズの宣伝番組「ロッテレビ」を観ていたら、福浦選手が登場した。若いころに登場したとき、谷津干潟がお気に入りの場所だと言っていましたね、とアナウンサーにからかわれていた。彼のシャープなヒットは昔から好きであったので、さらに親近感が増したのだった。

(追記)その後ほどなくして、アサリの大量死事件が起きた。暑さによりアオサが繁殖し、そのために溶存酸素が減るなどした結果だった。やはり、バッファーの小さい状況での生態系は、変動に対して脆弱だということだろう。


何かの稚魚 Pentax MZ-S、FA★200mmF2.8、ベルビア100、DP


カワウは羽根を広げなかった Pentax MZ-S、FA★200mmF2.8、ベルビア100、DP


アシは良し Pentax MZ-S、FA★200mmF2.8、ベルビア100、DP


セイタカシギ Pentax MZ-S、FA★200mmF2.8、ベルビア100、DP


カルガモ親子 Pentax MZ-S、FA★200mmF2.8、ベルビア100、DP


セイタカシギ Pentax MZ-S、FA★200mmF2.8、ベルビア100、DP

●東京湾の干潟(三番瀬、盤洲干潟・小櫃川河口、新浜湖干潟、江戸川放水路)
市川塩浜の三番瀬と『潮だまりの生物』
日韓NGO湿地フォーラム
三番瀬を巡る混沌と不安 『地域環境の再生と円卓会議』
三番瀬の海苔
三番瀬は新知事のもとどうなるか、塩浜の護岸はどうなるか
三番瀬(5) 『海辺再生』
猫実川河口
三番瀬(4) 子どもと塩づくり
三番瀬(3) 何だか不公平なブックレット
三番瀬(2) 観察会
三番瀬(1) 観察会
『青べか物語』は面白い
Elmar 90mmF4.0で撮る妙典公園
江戸川放水路の泥干潟
井出孫六・小中陽太郎・高史明・田原総一郎『変貌する風土』 かつての木更津を描いた貴重なルポ
盤洲干潟 (千葉県木更津市)
○盤洲干潟の写真集 平野耕作『キサラヅ―共生限界:1998-2002』
新浜湖干潟(行徳・野鳥保護区)


原将人『おかしさに彩られた悲しみのバラード』、『自己表出史・早川義夫編』

2010-07-31 08:48:03 | 小型映画

茅場町のギャラリーマキで、原将人の映画を順番に上映しはじめた。今回は高校生のときに撮られた『おかしさに彩られた悲しみのバラード』(1968年)と次作『自己表出史・早川義夫編』(1970年)の2本である。大島渚『夏の妹』の批評や、『東京戦争戦後秘話』の脚本によって興味を持っていたものの、作品をこうして観るのははじめてだ。

『おかしさに彩られた悲しみのバラード』は、一見、極めてユルい。しかし、カットが短く切り詰められ、継ぎ合わされている映像は、奇妙なビート感を孕んでいた。こうすることにより、楽屋落ちに堕すことがないのだと後で気が付いた。

政治の季節。街頭デモ。ベトナム戦争で頭を撃ち抜かれるベトコンの映画を撮ろうとする劇中劇(いや、すべてが劇中劇か)。リンチを受ける朝鮮人少年。それは「風景論」のようなタイトさや抽象性は持たず(足立正生『略称・連続射殺魔』は1969年に公開された)、ユルいが故に、丸山真男の言った「であること」的な距離を置かず、よりアクティブに世界と関わっているのだった。

「中学生のころからコルトレーンを追いかけていた」という監督らしく、映画ではずっとジャズが使われている。チャールス・ロイドの「フォレスト・フラワー」があった。上映の後、居酒屋で訊ねてみると、エリック・ドルフィーやレス・ポールも使っているということだった。

『自己表出史・早川義夫編』は、ソロ活動を始めたころの早川義夫を追った映像。デビュー作のユルさは消え、スタイリッシュでさえある(何しろ、オーネット・コールマン「ロンリー・ウーマン」で始まるのだ)。早川義夫は、作曲のときが音楽的なピークであり演奏時は追体験に過ぎないこと、メッセージソングであろうとなかろうとメッセージを殊更に強調したくはないこと、グループで演奏すると時間の進み方を支配されてしまうこと、などについて、原監督のツッコミに応じて正直に語る。

やはりここでも政治が独特な振る舞いで闖入する。1969年10月21日、国際反戦デー、前年に続く新宿での騒乱。「政治運動を撮るだけで運動になる」との主張をナンセンスだと感じていたという原将人の、独自の距離と関わり。この前後、原将人は大島渚の創造社に出入りしていた。この関係が、大島渚『新宿戦争戦後秘話』(1970年)において、脚本での参加という形となる。大島渚は『新宿泥棒日記』において、1968年の新宿騒乱を撮っていた。大島渚の近くには常に私服の公安が張り付き、声ひとつ、手ひとつあげようものなら逮捕しようと待ち構えていたという。足立正生が「おまわりさん!」と叫んでみると、柔道で耳の形が変わった「私服」たちは一斉に逃げた、という話も開陳された。

トークショーのとき、突然、Sさん質問はないですかと指名されたので、8ミリと16ミリというフォーマットの違いについて訊ねてみた。1枚の解説には、8ミリに飽き足らず、質感を求めて16ミリにしたのだとある。実際のところ、1コマずつのコントロールがより自由である点を重視したのだということだった。また最近8ミリに回帰している点については、フジのシングル8中止に対するプロテストのようなものだ、と。居酒屋で、それではスーパー8は使わないのかと訊ねると、巻き戻しなどのコントロールがシングル8のほうが良い点、フジカZC1000というカメラが使えるという点を挙げていた。このため、スーパー8のフィルムをシングル8のカートリッジに詰め替えて使っている人もいるらしい。

それにしても、変人たちの集まりは愉しかった。次回の上映にも足を運びたい。

●参照
大島渚『夏の妹』(原論文)
大島渚『少年』
大島渚『戦場のメリークリスマス』