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自縄自縛日記

金石範『新編「在日」の思想』

2010-07-07 01:21:10 | 韓国・朝鮮

金石範『新編「在日」の思想』(講談社文芸文庫、2001年)を読む。済州島から単身日本に渡ってきた母から日本で生まれ、在日コリアンとして生きてきた作家が、70年代から90年代初頭まで書いた文章群である。生きてきた、というよりも、李・朴・全と続いたファシスト政権国家には戻ることができなかった、つまり「在日」として生きてこざるを得なかった、ということだ。

思想は多方面に向けられるが、主に、「在日」を取り巻く日本社会の歴史、「在日」が日本語で書くことの意味、済州島四・三事件、の3つのテーマに収斂している。

戦前、在日コリアンの労働運動や大衆運動は、日本の労働運動・左翼運動に吸収されていた。日本共産党を通じての、運動は各国単位で行わなければならないとするコミンテルンの指導によるものであった。しかし戦後1955年、日本共産党は方針転換する。それに伴い、在日コリアンの運動は独立し、朝鮮総聯という組織的な表現となる。そして1965年の日韓基本条約が後押しして、日本への帰化者が増加していく。この帰化政策は日本政府の大方針でもあったことが示される。「少数民族」問題の発生を極度に恐れ、戦前と別の形での同化を進めたのである。(一方では「北朝鮮帰国事業」もあった。)

金石範はこれに根本的な疑義を発している。もちろん、これは、書かれた30年後の現在にあってもぬらぬらと生きて蠢いている。

「しかし将来とも、帰化を望まぬ者たちもいるのであって、そのような存在をも同化の対象にせねばならぬ思想はどうしたものだろう。在日朝鮮人を是が非でも日本人化せねばならぬという、植民地支配時代の亡霊が取り憑いたような執念とでもいうべきその考えは理解に苦しむといわざるを得ない。」

次に、おそらくは矛盾の中に身を置く者としてのみあり得たことだが、なぜ在日コリアンが、かつての侵略者、収奪者のことばを使って表現するのか、という問題を提起し、苦しみながら思想している。従って、はっきりとした方向性が結論として示されているわけではない。

ことばは社会であり、社会はことばである。抑圧的で暴力的な社会にあっては、ことばの構造も抑圧的で暴力性を持つ。しかし、作家としての想像力は、日本語に拠って立つ。支配者のことばを使ってそこから自由になるとはどういうことか。逆にそれは、朝鮮や韓国といった呪縛からも距離を取ることを意味しないか。負の側面や矛盾は文学的エネルギーに転化しないか。ことばが開かれる地平はどこにあるか。そもそも、「朝鮮」を書くとはどういうことなのか。―――そのような思想である。私たちが自らのことばの暴力性や内在する呪縛に無自覚でいることは、自らの姿を見ないことでもあるということか。

そして、1948年の済州島四・三事件。朝鮮統一せずに南側だけで対米追従政権をつくる動きに、済州島の島民が蜂起した。それに対し、米軍と李承晩政権は武力で応え、20数万人口の四分の一が虐殺された。その事実と、済州島がもともと受刑者の流される島であって蔑視されてきたという史実は知ってはいたものの、その様子の残酷さに慄然とさせられる。元々、島民は政治的に革命的な傾向を強く帯びており、また行政機関は本土出身者によって占められ島民が排除されてきた、という背景があったという。

金石範は、ここで済州島を「日本における沖縄」になぞらえている。なるほど、差別構造の存在がある。そして、済州島も現在では「癒しのリゾート」と化している。

●参照
李恢成『沈黙と海―北であれ南であれわが祖国Ⅰ―』
朴重鎬『にっぽん村のヨプチョン』
井上光晴『他国の死』
野村進『コリアン世界の旅』
『世界』の「韓国併合100年」特集
尹健次『思想体験の交錯』
尹健次『思想体験の交錯』特集(2008年12月号)
高崎宗司『検証 日朝検証』 猿芝居の防衛、政府の御用広報機関となったメディア
菊池嘉晃『北朝鮮帰国事業』、50年近く前のピースの空箱と色褪せた写真
朴三石『海外コリアン』、カザフのコリアンに関するドキュメンタリー ラウレンティー・ソン『フルンゼ実験農場』『コレサラム』