Sightsong

自縄自縛日記

名古屋COP10&アブダビ・ジュゴン国際会議報告会

2010-12-11 10:19:31 | 環境・自然

ジュゴン保護キャンペーンセンター主催の『名古屋COP10&アブダビ・ジュゴン国際会議報告会』に参加してきた(2010/12/5、港区立勤労福祉会館)。

先日名古屋で開かれた生物多様性条約のCOP10については、国間の利益配分ばかりが取り上げられ、結局何だったのかについては注目されていない印象が強い。それは大メディアの力不足に他ならない。一時期、大浦湾のジュゴンについてまるでペット扱いで追いかけた日テレ『NEWS ZERO』も然りだ。

このセミナーでは、ジュゴンについて、COP10、さらにIUCNの「ジュゴン保護国際会議」についての報告がなされた(蜷川事務局長)。

名古屋議定書(ABS議定書)がマスコミの注目の対象であった。大枠決めであり、日本ではおそらく2012年通常国会で批准される。
○2年後のCOP11(ニューデリー)に向けて、ジュゴン保護のための闘いがはじまったと考えてよい。
○COP10の愛知ターゲットに対応して、日本政府の素案として、「藻場・干潟の保全活動の推進を図る」、「沿岸域においては藻場・干潟の整備」といったものが発表された。これに魂を入れてもらう。
ジュゴン保護に関する3度目のIUCN決議(2008年10月)は圧倒的多数で勧告が採択されたものだが、日本政府は棄権した。
ボン条約(移動性野生動物の保全に関する条約)による「ジュゴン保護覚え書き」への署名は、2008年時点の12カ国から18カ国へと増えた。また、ジュゴン保護国際会議(「ジュゴン保護覚え書き」第1回署名国会議、2010/10/4-6、アブダビ)には、生息国48カ国のうち29カ国が参加した。なお生息国には、ジュゴンが通過する国も含まれる。
○ジュゴン保護国際会議に日本政府は参加しなかった。「国内法整備を要求されるから」という理由であったが、覚え書きには「法的拘束力はない」ものと明記されており、口実にすぎない。第2回会議には、国益に合うなら参加するものとしており、後ろ向きの姿勢である。
○ジュゴン保護国際会議では、国際先住民ネット(IIFB)が「辺野古・大浦湾での軍事基地建設とそれが生物多様性に与える影響について憂慮する」との声明を出した(なおIIFBの発言力は国並みに認められている)。
○また、CBDアライアンスは「日本は里山・里海イニシアチブを推進しているが・・・沖縄ではアメリカ軍のために生態系の貴重な場所を破壊し・・・見て見ぬふりをしている」と批判した。
○沖縄のジュゴンは北部東海岸(大浦湾など)を中心に数十頭が生きていると言われていたが、現在ではさらに少なくなっている。公共事業を原因とする赤土流出で海草藻場が壊滅したこと、魚網で窒息死すること(酸素呼吸のため)、といった原因がある。沖縄西岸の古宇利島でも来ているとの言説は、問題を曖昧にするものだ。
○辺野古の新基地建設がなされれば藻場が壊滅する。環境アセスメントは、これまで「準備書」への知事意見が出された(2009/10)ところまで進んだ。それを踏まえた「評価書」がいつ出るかは、先日の沖縄知事選後の様子を見て決められていくだろう。しかしそう簡単には行かないだろう。
○名護市の稲嶺市長は、環境アセスメント法違反の「現況調査」を拒否した(2010/11/30)。ジュゴンとその生息地の保全を環境省に要請する陳情もこの12月に名護市議会で採択される。
○2011年春に新日米共同声明が出されるだろうが、普天間問題は解決しない。
○米国の国防総省に対するジュゴン訴訟については、現在、日本の環境アセスメントの結果待ちという段階である(国防総省は日本のアセスを支持する立場)。日本の環境アセスメント法は対象とする範囲が狭く、この結果に対しては異論が出るだろう。なお、ジュゴン保護国際会議では、ジュゴン訴訟の議論はあまり出てこなかった。

以上、ジュゴン訴訟と辺野古アセスの現状を確認できる場だった。忘れないでじろじろと見続けることが重要である。


環境アセスのフロー

●参照
ジュゴンと生きるアジアの国々に学ぶ(2006年)
ジュゴンと共に生きる国々から学ぶ
二度目の辺野古
高江・辺野古訪問記(2) 辺野古、ジュゴンの見える丘
ジュゴンの棲む辺野古に基地がつくられる 環境アセスへの意見(4)


伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』と中村義洋『ゴールデンスランバー』

2010-12-11 09:04:22 | 東北・中部

伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』(新潮文庫、原著2007年)が文庫化されたので早々に読んだ。結構売れているようで、電車の中でも他に読んでいる男を発見。

仙台の街を逃げまくるというだけで面白いのだが、惹かれるのはそこではなく、ドゥルーズ/ガタリ的な逃走線がメインテーマに違いない点だ。主役の青柳が首相暗殺犯にされてしまうとき、その陰謀に加担した親友の森田が青柳に「無様な姿を晒してもいいから、とにかく逃げて、生きろ。人間、生きててなんぼだ。」と告げるそれ、ただ冤罪から逃れるプロットのそれではない。死なないために逃げるのではない。否定的な意味ではなく、単一の地層から、主体性というブラックホールから、樹木から、逃げることが、生きるということに他ならない。自分がこのエンタテインメントから読み取ったものはそれだ。

映画化された中村義洋『ゴールデンスランバー』(2010年)。画面に仙台市内や駅前が出てくると、やっぱりどきどきする。公開前後に、『ゴールデンスランバーサポーターズブック』をどこかで貰った。青柳役の堺雅人は、「表と裏からの"偶然"を描くことで、世の中のとらえ所のなさを描いている」と語っている。一方、テレビ放送時のインタビューでは、「人と人とのつながり」を強調している。後者はリゾーム、逃走線を形成する。「とにかく逃げて、生きろ。」よりも、「とにかく信じて、逃げろ。」なのだ。

思い出したこと。1923年、大杉栄、伊藤野枝とともに、甥の橘宗一少年までが軍部に虐殺された。橘宗一少年の墓は名古屋にあり、長らく軍部に発見されることなく眠っていた。少年の父、橘惚三郎が建立したものだ。墓碑の裏面には、「宗一(八才)ハ再渡日中東京大震災ノサイ大正十二年(一九二三)九月十六日ノ夜大杉榮野枝ト共ニ犬共ニ虐殺サル」とあった。それを近所の人々は知っていた。

大杉栄と伊藤野枝の娘、伊藤ルイの生涯を追った、藤原智子『ルイズその旅立ち』(1997年)で知ったことである。また観たい映画だ。