ヴァシリー・カンディンスキーは自分にとって何人かの特別な画家のひとりだ。そんなわけで、三菱一号館美術館で開かれている『カンディンスキーと青騎士展』にいそいそと足を運んだ。
展示は、カンディンスキー・コスモス(ケイオスか?)が開闢する前の風景画や宗教画などから始まる。既に紫やピンクや青や黄の使い様がただごとでなく、ムルナウやミュンヘンといった南ドイツを描いた作品群は素晴らしい。ただ、後戻りできない宇宙を開いてしまってからは、素晴らしいという言葉を超えてしまう。本当である。こればかりは現物を目の当たりにしないと体感できない。
以前も感じたことだが、カンディンスキーに比べると、教え子でありパートナーであったミュンターの作品はフォロワーの域を超えるものではない。マルクの素晴らしい作品何点かを観ることができるのは嬉しいが、1点だけあるクレー作品はかなり格落ちであり、やはり天才クレーの世界を見せつける作品なら他にごまんとある筈だ。そんなわけで、「青騎士」に焦点を当てるのはいいとして、全体的にアンバランスな展示ではあった。しかし、展覧会なんて、脳を震わせる作品がひとつでもあればいいのだ。
今回の作品群はミュンヘンのレンバッハハウス美術館の所蔵品であり(ミュンヘンにはちょっと足を踏み入れたことがあるだけで、この美術館には行ったことがない)、ミュンターが寄贈したものが中心であるようだ。1996年に池袋のセゾン美術館で開かれた『カンディンスキー&ミュンター 1901-1917』でも同美術館の所蔵品が含まれていたが、当時のカタログを確認してみると、重なる作品はさほど多くなかった。むしろ、カタログにレンバッハハウス美術館の学芸員が寄稿したテキストに挿入されている優れた作品群、たとえば、カンディンスキーの「ミュンヘン―イーザル川」という初期の小品、それから宇宙開闢後の大作「山」や「印象III(コンサート)」が今回展示されているわけで、これは眼が悦ぶ。
それにしても、カンディンスキーは1910年ころに至る数年間に恐ろしいほどの変貌を遂げている。必ずしもアートシーンに受容されなかったという環境やミュンターとの私生活によるものとは思えない。これが100年前なんてなあ。
『カンディンスキー&ミュンター 1901-1917』カタログ(セゾン美術館、1996年)