Sightsong

自縄自縛日記

堀田善衛『若き日の詩人たちの肖像』

2011-01-01 22:32:43 | 関東

年末年始に、堀田善衛『若き日の詩人たちの肖像』(集英社文庫、原著1968年)を読む。

新宿歌舞伎町のジャズバー「ナルシス」が舞台のひとつである。小説では1936年末か1937年、「角筈二丁目の、女郎屋街にほど近い、小さくて暗いスタンドバー」とある。調べてみると角筈二丁目は現在の西新宿一丁目。『朝日新聞』2001/8/27での先代ママ・川島フヂエさんの追悼記事によると、1938年に伊勢丹裏に開店し3回引っ越したとあるから、時期も場所も少し違っている。

その先代ママだが、小説では「万年女学生」のようだと描かれ、「川島藤江」という名となっている。今の川島ママに先代ママの写真を見せていただいたことがあって、実際にとても綺麗な方なのだった。作品のウラ話なんかも、こんどナルシスに足を運んだら聴いてみたい。


先代ママの追悼記事(朝日新聞2001/8/27)

戦争が進むにつれ、ナルシスに集うインテリや詩人や文化人たちのある者は拘束され獄死、ある者は国粋主義に走り、ある者は精神を追い詰められていく。若者は堀田善衛本人であり、自伝であるだけに、この感覚には鬼気迫るものがある。

「しかも、はじめられた戦争が、まるで自分のもの、ででもあるかのような口振りが見えていた。それは明らかに、十二月九日の夕方にやってきた刑事のことば、「どうだ、やったろう!」と同じものであった。一国民の全体に襲いかかっている戦争を、あたかも自分だけのものであるかのように所有をすることが出来るということが、若者にはなんとしても不思議なことであった。」

「未曾有の大戦争をしている国に生きていて、若者はその時間を、なんだか暇だなあ、と思っていたのであったが、それは暇なのではなくて本当は澱んでいて鈍いのだ、と認識する。また時代とそのなかに在る若者たち自身の姿について、これだけの凝視は到底おれには出来ていなかった、と知った。また左翼にも、いかなる意味でもこうした認識はなかった。」

「それにしても、と男は思うのである。生命までをよこせというなら、それ相応の例を尽くすべきものであろう、と。これでもって天皇陛下万歳で死ねというわけか。それは眺めていて背筋が寒くなるほどの無礼なものであった。」

ナルシスで働く「マドンナ」という女性は、若者と寝るも、かつて全裸で酷い拷問を受けた記憶が蘇って来て、受け入れることができない。左翼の夫が去った家で、毎日煙だらけになって風呂を焚く。奇妙に抒情的な描写である。そして常連が次々に居なくなったナルシスで、マドンナは絶望し、毎日佇む。何とも言えず胸を衝くくだりがある。

「肩まで垂れた髪がはらりと前にあつまって来て窪んだ青白い頬をかくし、従って伏せた眼と寸のつまった鼻と受け口な唇だけしかが見えなくなった。
 しかもその顔は男のすぐ眼の前にある。冬の皇帝は突然ブンカ、ブンカ、マーモルモセーメルモを中止して、
 「キッスしろよな。人は愛しあって生きて行かなけりゃあなりません」
 と言い、それだけ言うとまたブンカ、ブンカをはじめた。
 (略) マドンナは、もう完全に絶望しているのであった。頼れるもの、希望を託すべきものがまったくなくなってしまったのである。」

この「冬の皇帝」は田村隆一をモデルにしているそうで、ナルシスのカウンター向こう、目立つところにも、田村隆一の色紙がある。

いまは
 どこにも
  住んでいないの
          隆一

●参照
新宿という街 「どん底」と「ナルシス」
歌舞伎町の「ナルシス」、「いまはどこにも住んでいないの」
堀田善衛『インドで考えたこと』


モフセン・マフマルバフ『カンダハール』

2011-01-01 19:20:16 | 中東・アフリカ

モフセン・マフマルバフ『カンダハール』(2001年)を観る。「9・11」直前、タリバン政権下のアフガニスタン。カナダ在住のアフガン女性が、カンダハールに住む妹から手紙を受け取る。足を失い、女性に閉塞的な社会にあって希望を失い、次の日食の日に自殺するのだという。女性はカンダハールを目指すが、女性一人での旅はあまりにも危険で難しい。

ヘリで近づく山岳地帯と砂漠、その下ではすべての女性が顔を隠している。マフマルバフの発言録『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』(現代企画室、2001年)では、その布が抑圧の象徴なのだとマフマルバフは主張する。人口の半分が視えても視えない存在であることが、自分の社会からかけ離れた常識であることは理解できるが、それだけを取り出して絶対的な問題とみなすべきかどうかについては感覚的にわからない。映画においても、女性たちだけの中ではマニキュアを塗ったり布の下で口紅をつけたりしているだけに。

むしろ、タリバンが貧しい家庭を囲い込み、子どもたちに宗教教育(とはいっても、カラシニコフの使い方も含まれる)を施す姿、地雷により足を失った者たちへの義足供与が追いつかない姿に掴まれる。この後の米国介入、カルザイ政権下でのタリバン再復活を経た今、どのように状況が変わっているのだろう。

カメラの画角が狭いことには少なからず違和感を覚える。このクローズ・アップはマフマルバフの視線か。

●参照
モフセン・マフマルバフ『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』
中東の今と日本 私たちに何ができるか(2010/11/23)
ソ連のアフガニスタン侵攻 30年の後(2009/6/6)
『復興資金はどこに消えた』 アフガンの闇

●参照 イラン映画
カマル・タブリーズィー『テヘラン悪ガキ日記』『風の絨毯』、マジッド・マジディ『運動靴と赤い金魚』
サミラ・マフマルバフ『ブラックボード』(マフマルバフの娘)
バフマン・ゴバディ(1) 『酔っぱらった馬の時間』
バフマン・ゴバディ(2) 『ペルシャ猫を誰も知らない』
バフマン・ゴバディ(3) 『半月』
バフマン・ゴバディ(4) 『亀も空を飛ぶ』
ジャファール・パナヒ『白い風船』
アッバス・キアロスタミ『トラベラー』
アッバス・キアロスタミ『桜桃の味』


ジョー・ヘンダーソン+KANKAWA『JAZZ TIME II』、ウィリアム・パーカー『Uncle Joe's Spirit House』

2011-01-01 08:37:16 | アヴァンギャルド・ジャズ

2004年だったか、ゲイリー・バーツ(アルトサックス)がKANKAWA(オルガン)と共演するというので、原宿に聴きに出かけた。バーツのソウルフルなグループ「ントゥ・トゥループ」が割と気にいっていたこともあった。ところが、音色以外に聴くべきところはなく、幻滅してバーツの作品すべてを手放してしまった。KANKAWAはケレン味たっぷり、何だかよくわからず判断保留、それ以来聴いていなかった。

そんなわけで、ジョー・ヘンダーソン+KANKAWA『JAZZ TIME II』(&Forest Music、録音1987年)を中古店で見つけて入手してしまった。こんなセッションがあったとは。ジョーヘンも、亡くなるちょっと前にブルーノート東京に来るというので予約しようと考えていたらキャンセルになり、結局は実際に聴くことができなかった存在である。

メンバーは、ジョーヘン(テナーサックス)、KANKAWA(オルガン)の他に、ドラムスと、曲によって杉本喜代志(ギター)。そういえばバーツとのセッションのときは、小沼ようすけ(ギター)が飄々と入ってきていたなあ。

ジョーヘンはいつだって変わらない。日本でのライヴのせいか、「Softly as in a Morning Sunrise」、「Recorda Me」、「Stella by Starlight」、「Blue Bossa」と名曲揃い。それはそれとして、KANKAWAの音がどうにも耳に刺さってこない。何かと考えたら、ベースとなるリズム感が緩く、そのうえでアナーキーなプレイをやるものだから、なのだ。やはり締めるところはタイトに締めるほうが好みである。

昨年聴いたオルガンもので良かった盤は、ウィリアム・パーカー『Uncle Joe's Spirit House』(Centering Records、録音2010年)である。ジャケットで判断する限りでは、古き良き黒人音楽、協会、オルガン。ウィリアム・パーカーは、セシル・テイラーとの共演などのハードコアやカーティス・メイフィールド集など本当に多彩なベーシストである。

メンバーは、パーカー(ベース)の他に、ダリル・フォスター(テナーサックス)、クーパー・ムーア(オルガン)、ジェラルド・クリーヴァー(ドラムス)というサックス+オルガンカルテット。聴いてみると、最初の思い込みほど単一な世界ではない。盤は、ゴキゲンな「Uncle Joe's Spirit House」から始まる。ボサノバリズムの奇妙な「Ennio's Tag」ではフォスターの臭っさいテナーが充満する(勿論、誉め言葉)。現代の聖歌だとする「Let's Go Down to the River」も良い。オルガンもこうでなくてはね。

そして個人的な白眉は、市民権と自由を求めて日々闘わざるを得ない人々に捧げたという「The Struggle」だ。ここでフォスターのフラジオ奏法によるテナーは、まるでマックス・ローチの盤におけるアビー・リンカーンの叫び声のように、想いを天と地に向けて噴出させる。

パーカーのエッジが効いた硬いベースの音とともに、フォスターのテナーに魅せられてしまった。