Sightsong

自縄自縛日記

デイヴ・リーブマン『Lookout Farm』、ジョージ・ガゾーン『Live in Israel』 気分はもうアスリート

2011-01-16 19:45:51 | アヴァンギャルド・ジャズ

LP棚を見ていると、デイヴ・リーブマン『Lookout Farm』(ECM、1974年)があった。こんなの持っていたっけ、全然意識していなかった(笑)。

折角なので久しぶりに聴く。ジョン・アバークロンビーのギターもリッチー・バイラークのエレピもいい感じである。スパニッシュ・コードもある。時代を感じさせる混沌としたサウンドの中、リーブマンはソプラノサックス、テナーサックス、フルートを吹く。マイケル・ブレッカーにもあるような、コードからアウトしてとにかく器楽的に吹きまくるこういうの、何て言うんだろう。最初は面白いんだけど・・・。

ライナーノートで油井正一が解説を書いている。曰く、このような奏法はスティーヴ・グロスマンにも共通していて、どっちがどっちかわからない。しかし、ジャズは個性の音楽であるから、こちらの身体と耳が慣れてくれば、それぞれを認識できるであろう、それが時代というものであろう、と。グロスマンとリーブマンは明らかに違うと思うが、自信があるからこその解説であり、他のジャズ評論家と違って古びない。

ついでに思い出して、ジョージ・ガゾーンがピアノレス・トリオ「The Fringe」名義で発表した『Live in Israel』(Soul Note、1995年録音)を聴く。もうこれは、いろいろなサウンドで彩っていないだけに、器楽のアスリートそのものである。機械ではない、機械にはこんなことはできない。しかし圧倒されはしても、全く、情も味もない。オリジナル曲の中に、1曲だけのスタンダード「Body and Soul」が演奏されているが、歌詞の世界とは無縁である。

いつだったかにガゾーンにサインを貰いつつ訊ねてみたら、この盤がもっともお気に入りだとのこと。「紅海ジャズ・フェスティヴァル」での録音であり、まあジャズフェスで聴いたなら呑みこまれて熱狂するかもしれないが。


小森陽一『沖縄・日本400年』

2011-01-16 17:46:37 | 沖縄

小森陽一『沖縄・日本400年』は、NHKの『歴史は眠らない』枠で2010年7月に放送されはじめた。4回シリーズだが、最初の2回が終わったあと、第3・4回は再取材のため延期とアナウンスされ、その代わり、別の沖縄関連の特番が焼き直しされた。それが昨年12月に唐突に再開された。うっかり見逃すところだった。

それにしても不自然な延期である。何があったのか、ネットで調べてみても噂さえ引っかからない。しかし、「普天間」の季節に、何もなかったわけはない。

第3回は「近代沖縄の苦悩と挫折」、日本との同一化の力(日本から、沖縄内部から)、日本に出稼ぎに出た沖縄人への差別、さらに沖縄戦において捨て石にされることに気付いた沖縄人・吉浜智改による「自存せよ」との叫びが紹介されていた。一方、「集団自決」に関して、テキストでは岡本恵徳、宮城晴美、林博史による指摘が含まれているものの、番組ではまったく触れられていない。また皇民化教育についても同様である。このあたりに手が加えられた可能性はないか。

「生き延びるのだ!! どんなことがあっても、生き延びるまで、苦闘をつづけるのだ!! 民族の滅亡が、あってたまるものか!! 吾々は、たとえ如何なる苦難があっても、生き抜くのだ!! / 国会が、見捨てたからとて、吾々沖縄民族の総てが、無意義にして、無価値な犠牲を払ってたまるものか!! 自存せよ!!」(吉浜日記、1945年6月10日)

第4回は「「沖縄返還」への道」。日米安保体制の変革なしには沖縄の基地撤廃がありえないことを、屋良朝苗は再三訴えていた。しかしそれは曖昧にされ、完膚なきまでに無視された。これは日本人(ヤマトンチュ)の意識的・無意識的な意志に他ならなかったことを、自らの反省も含め、小森陽一が口にしている。

歴史が現在そのものであることを示したこの番組、こっそりと再開されてどれほどの人が視ただろう。

●参照
小森陽一『ポストコロニアル』
沖縄「集団自決」問題(16) 沖縄戦・基地・9条(小森陽一による講演)


沢渡朔『昭和』 伊佐山ひろ子

2011-01-16 10:19:09 | 写真

沢渡朔伊佐山ひろ子を撮った写真集、『昭和』(宝島社、1994年)を入手した。銀座のBLDギャラリーには署名入りの古本に1万円の値が付いているが、勿論、古本市場ではそんな殿様商売は跋扈していない。

このとき伊佐山ひろ子は40歳を過ぎたころである。粒子の目立つモノクロフィルムで、沢渡朔のカメラは伊佐山の顔と身体と裸に迫る。妙ななストーリー仕立てで、住宅街や病院の診察台で脱いだり、屋根の上で用を足したり、『Cigar』における三國連太郎のように歌舞伎町を彷徨したり。伊佐山のナマの表情も佇まいも、果てしなくウェットで、エロチックだ。以前『Kinky』の写真展で少し併設されていた『昭和』のオリジナルプリントほどのインパクトはないが・・・。

沢渡朔は『Cigar』と同様に、ペンタックスLXと50mmや28mmを使っている筈だ。仕事でニコンやキヤノンを使っていた写真家だが、個人的な作品は1980年の発売時にすっかり気に入ったというペンタックスLXを使うことが多いという。

「90年代に入ってからの伊佐山ひろ子さん(『昭和』)、三國連太郎さん(『Cigar 三國連太郎』)はどっちもLXです。一対一で相手に向き合うとき、個人的に撮るときはLXになる。
 とくに女優さんの場合は、密室みたいなところでエロチックな写真を撮っていくわけだから、モータードライブじゃないでしょ。一枚一枚撮っていく、そのリズムが大事なわけだから。レンズも標準一本きり、とかね。現場で相手の動きを見ているうちに、それは自然に決まってくるんです。」
(『季刊クラシックカメラNo.8 一眼レフ魂の結晶・ペンタックス』、双葉社、2000年)

この写真家のオンナ写真は本当に巧い。モノクロであればこんなように、カラーであれば『Kinky』のように、女性を撮ることができればきっと本望である。

●参照
沢渡朔『Kinky』(荒張弘子)
沢渡朔『Kinky』と『昭和』(荒張弘子、伊佐山ひろ子)
沢渡朔『シビラの四季』(真行寺君枝)
沢渡朔Cigar - 三國連太郎』(写真集)
沢渡朔『Cigar - 三國連太郎』(写真展)