Sightsong

自縄自縛日記

キャノンボール・アダレイ『Somethin' Else』

2011-05-01 22:51:53 | アヴァンギャルド・ジャズ

キャノンボール・アダレイ『Somethin' Else』(Blue Note、1958年)は、ジャズ・ファンであれば誰もが知る「名盤」であり、マイルス・デイヴィスが実質的なリーダーであったことも「常識」となっている。勿論、どちらにも異を唱えるつもりは毛頭ない。

昨日呑みながら編集者のSさんとジャズ談義をしていて、この盤の話になった(酔っていたのでどんな話だったか忘れてしまった)。そんなわけで、もう棚にないし、時々は飛行機のオーディオプログラムでかかっていたりするし、久しぶりに聴きたいなあと思いながらブックオフに入ると、500円で売っていた。通して聴いたのは何年ぶりだろう。

それでも印象は変わらない。自分にとっての最大の魅力は、キャノンボールの笑うアルトサックスである。特にLPであればA面の2曲、「Autumn Leaves」と「Love for Sale」では、マイルスのかっちょ良い、痩せてスタイリッシュなミュートのソロなんかが示された後、バックのサム・ジョーンズ(ベース)もアート・ブレイキー(ドラムス)もそのつもりか、突然「笑い」にギアを切り替える。そしてキャノンボールの圧倒的な技術による腹の底から揺らすような笑いのサックスが来る。いやもう、最高である。同時期のマイルス・デイヴィス『Milestones』における「Straight, No Chaser」も同じようなノリで偏愛していたが、いまはやはり棚にない。

最終曲「Dancing in the Dark」だけ、マイルス抜きのワンホーンによる演奏だが、やはりこの冗談のような落差があってほしい。聴くのはもっぱら前半である。


金石出『East Wind』、『Final Say』

2011-05-01 22:09:15 | アヴァンギャルド・ジャズ

韓国の人間国宝、故・金石出(キム・ソクチュル)のリーダー作を2枚聴く。

■ 『East Wind』(nices、1993年)

金石出のソロ作品。ヴォイス、様々な打楽器、そして胡笛(ホジョク)という笛。

最初の2曲はそれぞれ20分前後の長い演奏だ。1曲目は声と打楽器、2曲目はシンバルのように厚みの薄い金属の打楽器だろうか、リズムが大雑把とも言えそうな勢いで柔軟に変化する。時々朝鮮語で何かを宣言し、途中から打楽器とともに歌いはじめる。3曲目も声と打楽器だが、これは和太鼓のような音色で力強い。4曲目の打楽器は銅鑼のような音で、途中で中音域の太鼓を交えて再び銅鑼に戻る。声は朗々として裏声も見せる。

そして5曲目、ついに胡笛が登場する。コントロールが大変難しい、ダブルリードの笛だというが、ここで金石出は空気をたっぷり入れて朗々と吹く。周囲はその音を反響し、ひたすら気持ち良い。

ところで、解説を担当している湯浅学が文章を書いた『定本 ディープ・コリア』(幻の名盤解放同盟、青林堂、1994年)を、音楽を聴きながら読んでいると、あまりのバカバカしさに脱力しつつ、しかし漲る力を持った音が攻めてきて、何とも言えない気分になった。何しろ絵は根本敬である。

■ 『Final Say』(Samsung Music、1997年)

おもに太平簫(テピョンソ)という笛(胡笛と同じ?)による他の音楽家とのセッション集。

1曲目は、李廷植(イ・ジョンシク)のテナーサックス、ヴォルフガング・ プシュニク梅津和時のアルトサックス、この3本のただならぬサックスの間を、まるで蛇のようにのたうつ。2曲目は、金石出は打楽器と笛とにより、プシュニクの吹くタロガト(ペーター・ブロッツマンも吹くクラリネットのような木管楽器)と絡む。即興だが、他の者のようなスキームを感じさせない。超然と哭くような雰囲気なのだ。彼岸が見える―――死に興味を持たない者にはつまらぬ演奏かもしれない。3曲目は、金属の打楽器4人の出す割れるような音と定間隔の低周波の響きの中を、笛が強くたゆたっていく。4曲目は、チャンゴという打楽器とのデュオである。これは和太鼓のような響きと端の固い箇所を叩く音がする。

そして白眉は最後の5曲目だ。何と金石出vs.金石出、多重録音である。絡みあっては、何度かの一瞬の静寂を置いてまた再開するスリリングさ。互いに摩擦するような絡み合いの音は、サイケデリックと言ってもいいほど奇妙にカラフルだ。2人の金石出がサックスと同様、唇を緩めて周波数を低くすると、終焉が見える。そして間もなくとんでもない演奏が終わる。

●参照
ユーラシアン・エコーズ、金石出
『人はなぜ歌い、人はなぜ奏でるのか』 金石出に出会う旅


『けーし風』読者の集い(13) 東アジアをむすぶ・つなぐ

2011-05-01 17:27:48 | 沖縄

『けーし風』第70号(2011.3、新沖縄フォーラム刊行会議)の読者会に参加した。参加者は6名。いつも顔を出していたMさん(千代田区で平和運動)が沖縄大学に入学されて不在、ちょっと寂しい気分である(この手記は今号にも掲載されている)。

テーマは沖縄と韓国・中国・台湾との交流。どうしても震災や原発の話ばかりで、なかなか沖縄の話に入っていかないが、こんな話題があった。

○「沖韓交流」がはじまった1997年ころ、意義を感じて応じていたのは、新崎盛暉氏などごく一部のみだった。また、韓国では、すでに金泳三、金大中ら軍閥以外の大統領による政権となっていたが、それでも、「反共」と見なされることは大変だった。
○沖縄、韓国ともに、お互いの地での報道がなされていないため、状況がわかりにくい。韓国においては、日本と沖縄が一体でないことが知られていない。現在に至るまで、情報共有の有力な手段はインターネットである。
○韓国では、「米国を誤らせた」などの沖縄から学べと言われることがある。一方、沖縄側はそれを過大評価だと捉えることがある。
敗戦まで酷い立場におかれた沖縄がなぜ日本復帰を選んだのか、韓国で不思議がられることがある。これは戦後の親日・親米政権の韓国と通底するものがあるのではないか。
○施政権返還に関しては、森口豁『沖縄の十八歳』(1966年)にも描かれたように、広い議論があったのではないか。
○沖縄の軍用地を本土の人間が離職に備えて買う事例が目立つ(「軍用地売ります」の看板があちこちにある)。入手すれば軍用地料が入る。
○日米閣僚級の「2+2」が5月、菅首相訪米が6月となりそうな動き。仲井眞・沖縄県知事が3月に訪米する動きがあったが、参加団体が大勢になりすぎたこともあり中止した。しかしまた企画される。
○仲井眞知事が、普天間の県内移設反対を唱えて当選したものの、辺野古の埋め立て許可を突然出す可能性がないとは言えない。背後には海砂の埋め立て業者が控えている。
普天間・辺野古反対の運動は、普天間のゲート前にシフトしつつある(風船をあげるなど)。さらに重大化すれば米軍は黙っていないだろう。
○米軍予算の縮小について、従来は米国議会がストップする構造だったが、最近では議会でも変化の兆しが見られている。
○「思いやり予算」削除の署名が、震災との関係もあり、はじまっている。
○米軍基地には国連旗が立てられている。これは錦の御旗に他ならない。

原発などについては、
保坂展人・世田谷区長は、原子力反対を鮮明にして当選した。田中良・杉並区長と「反・石原連合」を組む動きがある。
○沖縄に原発を誘致する数年前からの動きには、米軍が反対しているに違いない。最近奄美で地震があったり、かつて八重山で大津波による大災害の記録があったりと、沖縄だからといって天災がないとは限らない。
○日本共産党は「反原発」ではない。原子力の「平和利用」に限定している。
○見えにくいが、原発事業は何層にも下請けに出され、どんどん日当が安くなる構造がある。
原発安全神話は皇民化教育のようだ。以前に、「原発を安全だと書け」との教科書の検定意見が出されたことがある。
○韓国で元・従軍慰安婦の方々が震災の募金活動をしたが、ほとんど報道されていない。

大江・岩波裁判(「集団自決」)については、
○教科書は概ね4年サイクルで作られる。来年の高校教科書の検定において文科省の考えと流れが見えるかもしれない。

戻ってから、(あまり読む時間がなく読書会に出てしまったので)改めて目を通した。印象深い点は以下のようなものだ。特に魯迅の視点については新鮮に感じた。

○韓国の梅香里(メヒャンニ)(米軍射撃場)や平澤(ピョンテク)の大秋里(テチュリ)(米軍基地拡張に伴う土地強制収容)については、韓国でさえほとんど知られていなかった(知らされていなかった)。
○2002年、サッカーのワールドカップ中に起きた米軍による女子中学生轢殺事件が、韓国での大きなうねりとなり、盧武鉉を大統領にまで押し上げたのだと言える。
○「琉球新報」での東ドイツの旧ソ連基地や韓国の米軍基地に関する連載報道が、沖縄において、韓国の動向についての知識を広めた。韓国では日本の米軍基地問題がクローズアップされたのは2000年より後のこと。
韓国軍の指揮権はいまだ韓国大統領になく、在韓米軍司令官にある。かたや日韓軍事交流は続いている。ソウルの国連軍司令部の後方支援基地として、日本の7基地(横田、座間、横須賀、佐世保、ホワイトビーチ、嘉手納、普天間)が位置づけられている。国連の旗が基地に立てられているのもそのような文脈で捉えるべきもの。
○鳩山政権によって、曲がりなりにも沖縄の米軍基地について日本中に周知された。現在の政権の問題にばかり目を向けるより、今をチャンスだと捉えるべきでないか。
新崎盛暉『沖縄現代史』が中国語と韓国語に翻訳されたことが、両国との交流に大きく貢献している。
○その中で、沖縄の中に魯迅の抵抗の視点を見出すこと(自らの奴隷制を問いなおす)、中国での魯迅的視点による自国批判などがみられている。これは、岡本恵徳屋嘉比収がかつてから説いていたことでもある。

●参照
『けーし風』読者の集い(12) 県知事選挙をふりかえる
『けーし風』2010.9 元海兵隊員の言葉から考える
『けーし風』読者の集い(11) 国連勧告をめぐって
『けーし風』読者の集い(10) 名護市民の選択、県民大会
『けーし風』読者の集い(9) 新政権下で<抵抗>を考える
『けーし風』読者の集い(8) 辺野古・環境アセスはいま
『けーし風』2009.3 オバマ政権と沖縄
『けーし風』読者の集い(7) 戦争と軍隊を問う/環境破壊とたたかう人びと、読者の集い
『けーし風』2008.9 歴史を語る磁場
『けーし風』読者の集い(6) 沖縄の18歳、<当事者>のまなざし、依存型経済
『けーし風』2008.6 沖縄の18歳に伝えたいオキナワ
『けーし風』読者の集い(5) 米兵の存在、環境破壊
『けーし風』2008.3 米兵の存在、環境破壊
『けーし風』読者の集い(4) ここからすすめる民主主義
『けーし風』2007.12 ここからすすめる民主主義、佐喜真美術館
『けーし風』読者の集い(3) 沖縄戦特集
『けーし風』2007.9 沖縄戦教育特集
『けーし風』読者の集い(2) 沖縄がつながる
『けーし風』2007.6 特集・沖縄がつながる
『けーし風』読者の集い(1) 検証・SACO 10年の沖縄
『けーし風』2007.3 特集・検証・SACO 10年の沖縄
新崎盛暉『沖縄からの問い』
新崎盛暉氏の講演
森口カフェ 沖縄の十八歳
岡本恵徳批評集『「沖縄」に生きる思想』
岡本恵徳『「ヤポネシア論」の輪郭 島尾敏雄のまなざし』
屋嘉比収『<近代沖縄>の知識人 島袋全発の軌跡』
魯迅の家(1) 北京魯迅博物館
魯迅の家(2) 虎の尾
魯迅の家(3) 上海の晩年の家、魯迅紀念館、内山書店跡
魯迅グッズ
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