リロイ・ジョーンズ(のちのアミリ・バラカ)による『ブルース・ピープル 白いアメリカ、黒い音楽』(平凡社、原著1963年)を読む。
原著のサブタイトルは「白いアメリカにおけるニグロ音楽」であり、本文中でも原著を尊重して「ニグロ」という言葉が用いられている。歴史的には黒人に向けられた蔑称であり、米国では現在、「ブラック」や「アフリカン・アメリカン」と呼ばれる方が好まれているようだ。しかし、他ならぬリロイ・ジョーンズが使っているわけであり、彼は恐らくは言い換えることで抑圧をオブラートに包むことを毛嫌いする。
リロイによれば、ブルースとは、極めて個人的な音楽であった。ワークソングという機能的な歌が使われた奴隷時代、19世紀の南北戦争を経て、ブルースが登場する。さまざまに発展するブルースは、白人層の無理解、剽窃、同化の対象と化していく。ミとシを半音階下げるブルースのマイナー・コードは現在ではジャズにおいても基本中の基本だが、それさえにも、音楽学者たちは、奇妙であるとか調子はずれであるとかの視線を向けていた。
リロイは、黒人奴隷にとっての同化は、アフリカを離れて異国でキリスト教を信じること、中産階級として地位を得ることであり、その過程で、黒人が白人になりたがる現象、そして、黒人間の階層化も生まれたのだとする。その一方で、ブルースはそのような歴史を原点に立ち返らせるほどのアフリカ起源の爆発力を持っていたのだ、と。コール・アンド・レスポンスも、シャウトも、音色の揺れも、ポリリズムも、ポリフォニーも、アクセントの移動も、その文脈で捉えられている。長い時間のあと、ジャズにおいては、その親が誰なのかを忘却したまま、多世界でブルース的要素が取り入れられている(これが書かれたのは60年代であり、リロイの脳内にある「敵」は、「アメリカなるもの」である)。ユニークな視点は、逆に、ブルースと西洋との接点が、それ自身やジャズを発達させたのだという主張だ。
「ニグロは決して白人になることはできなかった。だが、それは彼らにとっての強みだった。ある点にいたるといつも白人文化の支配的な流れに加わることができなくなった。この臨界点においてこそ、白人文化以外の資源を利用する必要が生じたのである―――それがアフリカのものであれ、サブカルチャーのものであれ、秘教的なものであれ。この境界、この中間地帯(no man's land)こそが、黒人音楽に説得力と美しさをもたらしたのである。」
従って、リロイの評価するジャズは、トランペットでいえば、ビックス・バイダーべックやマイルス・デイヴィスのフォロワーではなくルイ・アームストロングであり、サックスでいえば、ルイの方法を使った名手コールマン・ホーキンスではなく革新者レスター・ヤングであった。そして、チャーリー・パーカーらのビバップをブルースにルーツを持ち爆発的な力を持ったものとして最大限の賛辞を送っている。彼によれば、ハード・バップはその反動、革新ではなくメソッド、異物ではなく保護される芸術、ということになってしまう。
「ハード・バッパーはジャズをふたたび活性化しようとしたのだが、その試みは十分とはいえなかったのである。ビバップから学ぶべき卓見をなぜだが見失ってしまい、本当の意味でのリズムやメロディの多様さを、音色の幅だとかゴスペル紛いの効果にすり替えてしまったのだ。ハード・バップ・グループの用いるリズムは、1940年代の音楽に比較すると驚くほど穏やかで規則的である。」
この主張にはむろん違和感があるが、リロイは守旧派ではない。セシル・テイラーやオーネット・コールマンを「最重要人物」として位置づけ、ソニー・ロリンズやジョン・コルトレーンらを高く評価している。いまでは、ハード・バップとは、彼ら革新者だけでなく、傑出した者が個人として無数登場した音楽シーンとして考えるべきなのだろう。
現在はアミリ・バラカとして、ビリー・ハーパーやウィリアム・パーカーらの音楽に「ポエトリー・リーディング」で参加している。鉄骨のような存在であり続けている。「アメリカなるもの」への視線はどのように維持されているのだろう。以下の文章は、50年近く前に書かれたとは思えないのだ。
「「民主主義にとって世界を安全にするため」の英雄的な戦争は、徐々に”警察的行為”へと暗く先細りしていたし、「警察的行為」といってもアメリカ兵の多くがその真相に気づくのは捕虜になってからだった。「民主主義」なる用語さえ、野心に溢れるものの恐ろしく偏狭な人間たちによって汚された。」
●参照
○リロイ・ジョーンズ(アミリ・バラカ)『根拠地』 その現代性
○ビリー・ハーパーの新作『Blueprints of Jazz』(アミリ・バラカ参加)
○ウィリアム・パーカーのカーティス・メイフィールド集(アミリ・バラカ参加)
○チャールス・タイラー(「リロイ」という曲を捧げている)