ジャズ評論家・横井一江さんによる『アヴァンギャルド・ジャズ ヨーロッパ・フリーの軌跡』(未知谷、2011年)を読む。表紙のミシャ・メンゲルベルグの横顔が何とも良い。撮影は1992年というから、当然まだフィルムである。以前ご本人に訊ねたところ、もうデジタル一眼レフを使っているが、撮れすぎてしまうのだ、とのこと。
それにしても類書がないだけに面白い。教科書的なものではなく著者の同時代史でもあるように読める。その中に、自分も足を運んだライヴ、駆けつけられなかった来日公演などが登場して動悸動悸する。
構造的に商業化された音楽ではないから、ベースとなるのは人と人とのつながりである。ウィレム・ブロイカーがペーター・ブロッツマンをハン・ベニンクに紹介。アマチュア時代のジョン・マクラフリンまたはエヴァン・パーカーがデレク・ベイリーをベニンクに紹介(複数の証言が矛盾)。ペーター・コヴァルトがブロッツマンを、ブロッツマンがベニンクやブロイカーやメンゲルベルグやアレックス・フォン・シュリッペンバッハをパーカーに紹介。パーカーがケニー・ホイーラーをシュリッペンバッハやブロッツマンに紹介、というように。そうか、旅人コヴァルトが最初の糊でもあったのか。コヴァルトはサインホ・ナムチラックをヨーロッパで紹介もしている。
日本に比べ欧州の文化活動に対する助成は手厚い、とはよく聴く話でもあるが、そのあたりの実情も興味深い。ICPオーケストラも、ウィレム・ブロイカー・コレクティーフも、来日には自国政府の助成制度を何とか利用できたからであったという。アヴァンギャルド・ジャズという、個々の個性を聴かせてナンボの音楽の制約は、常にオカネである。
本書では、欧州各国の状況について、各論としてまとめている。ヨーロッパはひとつの家でもあり、そうでもない。個人の声、地域主義である。特に、フランスでは地域での草の根的な動きが多いという文脈の中に、現代の旅人ミッシェル・ドネダを位置づけていることは面白かった。さらに時間軸でのゆらぎとしてジョン・ブッチャーを取りあげ、ソロ奏者としての声ではなく場の音を構築しようとしているのだという分析には納得させられる。
フリージャズ、アヴァンギャルド・ジャズを捉えた本としては、清水俊彦『ジャズ転生』『ジャズ・オルタナティヴ』『ジャズ・アヴァンギャルド』、副島輝人『現代ジャズの潮流』『日本フリージャズ史』などと並ぶものではないか。生き方=ジャズ、を感じるためにもお薦めである。
●参照
○ヨーロッパ・ジャズの矜持『Play Your Own Thing』
○ハン・ベニンク『Hazentijd』
○イレーネ・シュヴァイツァーの映像
○ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ
○アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ『ライヴ・イン・ベルリン』
○シュリッペンバッハ・トリオの新作、『黄金はあなたが見つけるところだ』
○ペーター・ブロッツマン
○アクセル・ドゥナー + 今井和雄 + 井野信義 + 田中徳崇 『rostbeständige Zeit』
○『失望』の新作
○リー・コニッツ+ルディ・マハール『俳句』
○ウィレム・ブロイカーの『Misery』と未発表音源集
○ウィレム・ブロイカーが亡くなったので、デレク・ベイリー『Playing for Friends on 5th Street』を観る
○ウィレム・ブロイカーとレオ・キュイパースとのデュオ『・・・スーパースターズ』
○ジャズ的写真集(5) ギィ・ル・ケレック『carnet de routes』
○デレク・ベイリーvs.サンプリング音源
○田中泯+デレク・ベイリー『Mountain Stage』
○トニー・ウィリアムス+デレク・ベイリー+ビル・ラズウェル『アルカーナ』
○デレク・ベイリー『Standards』
○ジョン・ブッチャー+大友良英、2010年2月、マドリッド
○ジョン・ブッチャー『THE GEOMETRY OF SENTIMENT』
○マッツ・グスタフソンのエリントン集
○大友良英+尾関幹人+マッツ・グスタフソン 『ENSEMBLES 09 休符だらけの音楽装置展 「with records」』
○サインホ・ナムチラックの映像
○TriO+サインホ・ナムチラック『Forgotton Streets of St. Petersburg』
○姜泰煥+サインホ・ナムチラック『Live』
○ネッド・ローゼンバーグ+サインホ・ナムチラック『Amulet』
○テレビ版『クライマーズ・ハイ』(大友良英+サインホ)
○サインホ・ナムチラック『TERRA』
○ミッシェル・ドネダと齋藤徹、ペンタックス43mm